「納得できる評価かどうか」がモチベーションを左右する
今日も2年前の日記から。
良い評価をされた2年前
うちの会社は半年に一度、お客様から直接フィードバックをもらう仕組みになっています。 良い評価も悪い評価もあるのですが、そのときはとても良い評価をもらいました。 点数だけでなく言葉に感動したほど。なので日記に書いていました。
他にもある人から「リモートでもこれだけやれるとは思いませんでした」とコメントをもらったことがあります。 これだけで頑張ろうという気が起きます。
一方で悪い評価をもらうこともあります。それ自体が妥当なら、頑張らなければと思います。
最悪なのは、正しく評価されないことです。
不当な評価をされた1年前
一方で、正しく評価されないとものすごく腹が立ちます。某所に書いたのですが、こんな感じです。 非ITエンジニアによる評価ですが、今思い返してもはらわたが煮えくり返る所業です。
自分はチームでシステム開発を行っていますが、チームメンバーの一部の人の働きだけ評価して、その他の人の働きが評価されなかった(過小評価された)ときです。褒められたのが自分であっても他の人であってもです(両方ありました)。
もちろん褒められた人がそれに値するのは理解できますし、褒められた人が思い上がっているとか、他の人を出し抜いているわけではありません。でも、その褒められた人が力を発揮できたのは、他のメンバーの協力あってこそです。
それなのに、一部の人だけ評価して、その他の人の働きを評価しない、それはものすごく失礼な行為です。だからものすごく頭にきました。
※追記: 頭にきた理由を思い出したので書きますが、その間違った評価をした人は、自分を「リーダー」として見て、他の人を「リーダーに従うメンバー」として見ていました。
自分は上下関係を作るのが嫌だったし、チームメンバーにもそうならないように気を遣っていたのでそう見られるのも嫌だったのですが、評価に関わらなければしょうがないと思っていました。
しかし、そのような上下関係を評価に表したので、ものすごく頭にきた次第です。
要は「チームでやってるのに個人で評価するな!!!!!」ということです。
「チーム」が何かは例えばこんな感じですね。今見ると個人にタスクをアサインしているのはダメだなと思うんですが、 少なくとも「ワークグループ」と「チーム」の違いとしては十分かなと。
詳しくはこのツイートで。
こんな状況のときに pic.twitter.com/GdoIcXRipg
— Hideki Ikemoto (@ikemo) May 28, 2021
悔しさを自分の仕事に込める
もし自分が評価されないだけなら、自分の身の振り方を考えればいいだけです。
ですが、かつて自分は日本IBMで活躍の場が得られず、辛い思いをしました。 その辛い経験を次の世代に引き継ぎたくない、その思いが強いんですよね。
それをなんとかするのが自分の仕事です。
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