2016年4月18日月曜日

2016年3月13日日曜日

消費税はさっさと上げればいい

自称弱いものの味方や、ネット民には分からないことを書きます。自分は消費税はさっさとあげるべきだと思います。とりあえず、計算が面倒なので10%にして、長期的には20%くらいが妥当だと思います。

ただし、2つ前提があります。1つは、インフレ政策を続けること。デフレは絶対悪であり、議論の余地はありません。もう1つは、税収は、弱者や、子育て世代など頑張っている人に直接、あるいはNPOの支援を通じて還元することです。例えば、赤ちゃんが2歳になるまで毎月10万円親に給付しても(1年で100万人として)たかだか年2.4兆円で、増税による税収増5兆円の半分にもなりません。

この主張は、自分がこの政策によって得するからではありません。自分は「大負担大福祉」こそが必要だと考えているからです。別に中負担中福祉、小負担小福祉を主張しても構いませんが、自称弱いものの味方や、ネット民のようなクレクレ厨だけは論外です

大負担大福祉だけなら所得税でも法人税があるじゃないかというと思います。それは否定しません。もし何も前提条件ないとしたら、「資産」に課税するのがもっとも公平です。ただ、消費税(間接税)が必要な理由は2つあります。

1つ目は、反社会的勢力にも支払わせられる税金だからです。反社会的勢力は、当然のことながら所得をまともに申告しません。そういう勢力でも、消費税は払わざるを得ません。これより良い方法があったら教えてください(´Д` )

2つ目は、消費税は「トカイに対する罰金」だからです。世の中の多くの問題は、「全てお金が解決しないといけない社会」によって引き起こされています。特にトーキョー人にとって富とは他人から奪うものであり、非市場経済自体がが存在しません。自分は税金=罰金だとは全く思いませんが、これこそ罰金にふさわしいと考えています。

まあ、わざわざ都心に人を集めてこき使う企業には露骨に「東京税」をかけてもいいと思いますが。

2016年2月14日日曜日

ニュースを見ない理由

自分はもう1年以上ニュースを見ない生活が続いています。SNSとかやってると嫌でも目にするので、入ってくる情報をゼロにすることはできませんが、もう二度と見なくてもいいとすら思ってます。その理由を書きます。

1. ニュースが扱うのは「例外」である

ニュースではいろいろなものが取り扱われますが、ニュースがニュースである理由は、それが新規性のあるものだからです。世の中で当たり前のように行われていることは、ニュースになりえません。

しかし、世の中を動かしているほとんどのものは、当たり前のように行われているものであって、新規性のあるものが世の中を動かすことはほとんどありません。

2. 新規性を形にするのは専門家である

このように書くと、「新規性のあるものが世の中を動かすこともあるじゃないか」と反論すると思います。しかし、新規性のあるものが一瞬にして世の中を動かすことはまずありえません。仮に変わったとしたら、それは「以前から求められていたもの」にすぎません。

例えば、よく流れるニュースに、「Xの性能がY倍になる技術」「Xの容量がY倍になる技術」というのがあります。しかし、そのような技術が本物でも、すぐに実用化されることはまずなく、製造技術まで整備する必要があります。そのために何年もかかることは珍しくありません。

3. 世の中を変えるのは「行動する人」

いくらメディアが扇動し、アナリストが分析をしようとも、世の中の人のほとんどは、そのようには動きません。もしそういう人がいたら、その人はニュース依存症と言うべきで、その人たちに必要なのは適切な治療です。

逆に、ニュースが伝えない、本質的な変化があります。それは、一人一人が日々の生活のなかで行っていることそのものです。その本質的な変化は、テレビはもちろん、ネットにもありません。自分の足で、いろんな人を見ることで分かります。

人々を不幸にするニュース、それでも見ますか?

2015年12月15日火曜日

日本IBMのブラック化を止められなかった理由

リンクしませんが、日本IBMで退職勧奨を繰り返してうつ病になった人が労災認定されたというの話を目にしました。この記事を見てふと思い出したことがあるので、書きます。

日本IBMは日本を代表するブラック企業ですが、ブラック企業になった大きな理由は次にあります。

共産党系の労働組合しかなかったから

まさにその勝ち取ったと誇るその共産党系の労働組合こそが、日本IBMをブラック企業にした最大の要因です。その理由を以下に書きます。

日本IBMに入った時に、労働組合のチラシをもらいましたが、当然のように、みんな完全無視でした。彼らからしたら「闘う労働組合」のつもりでしょうが、こちらから見ると、単なる負け犬、会社に嫌がらせをするためだけの存在にしか見えませんでした。そのような労働組合が会社をダメにすることは、みんなよく知っています。そんなものに入るはずがありません。なので、日本IBMにおける、労働組合の組織率はほぼゼロでした。

しかし、従業員からも無視される「闘う労働組合」の存在により、「団体交渉」という考えまで奪われてしまいました。その結果が、会社のいいなりになる従業員です。会社に何となく不満があっても一人では言い出せません。

自分自身が苦しいときにも、当然ながら一般社員から孤立している「闘う労働組合」は何の役にも立ちませんでした。つまり、日本IBMの労働組合は存在しない方がマシという状態です。そのような労働組合が勝ち誇ることが自分からすると腹立たしいです。

これは労働組合に限った話ではありません。本来の役割を忘れた、「自称弱いものの味方」は、普通の人々からそっぽを向かれます。そしてだんだん先鋭的になり、先鋭的になることによってさらに人々からそっぽを向かれ、衰退していきます。

伝統宗教が衰退しているのも同じ理由です。本来の役割を忘れて、普通の人々の感覚から離れた政治的活動に走った宗教ほど、害悪なものはありません。こんな体たらくだからカルト宗教がのさばるし、信長でなくても焼き討ちしたくなります。

世の中には「自称弱いものの味方」でなく、本物の弱いものの味方が必要です。

2015年12月12日土曜日

松山のよくないところ4つ

最近松山市も移住に力を入れているようです。6年以上住んで居心地はいい方なので、その取り組み自体は応援していますが、当然ながら、何もかもいいわけではありません。自分から見て、松山のここがよくないかなぁというのを4つ挙げてみます。

  • 遊ぶところがあまりない
普通にボウリング場とかはあるんですが、遊ぶところが少ないなぁという印象があります。なので、休日は結構暇です。食べ物のイベントだけはやたら充実してますが。

客観的にはちょっとよくないかなぁとは思ってますが、個人的には困ってません。1つは、自分の趣味がゲームだからです。もう1つは、旅行に行けばいいからです。水族館は近くにありませんが、大分のうみたまごに行けばいいかなぁと思います。通勤地獄の代償だと思えば安いものです( ´ω`)

  • 空気が結構汚い
自分は喉が弱いのですが、自転車で道路を走っていると、結構ゴホゴホいいます。なんでかというと、コンパクトシティなのに、車が多いからです。朝はかなり渋滞してて、排気ガスが多いです。

  • 危ない交差点が多い
松山は結構、「ここに横断歩道がないの?」「ここに信号がないの?」というところがあります。コンパクトシティですが、自転車や歩行者からすると、結構不便な交差点が多いです。

  • 車のマナーが最悪
これは有名ですが、車のマナーが最悪です。例えば以下のような横断歩道で人が渡っている場合、通常は車は減速するものですが、松山だと全く速度を落としません。加速してくる車もいます。そしてぶつかると思うと、急ブレーキで停止します。当然ながら、歩行者からすると危ないので、車が減速するのを確認するまで渡りません。


もちろんこれは法律違反です(道路交通法第38条)。危ない運転をしている自転車もよく見かけるのですが、車のマナーの悪さは桁違いです。日本一悪いといっても過言ではありません。

松山のダメなところを4つ挙げましたが、最初の1つは個人的にはさほど困っていなく、残り3つが「車社会」によるものです。逆に言えば、これを改善することが松山には必要じゃないかなぁと思います。道路を整備するとかではなく、車自体を減らす取り組みを進めてほしいです。

2015年11月22日日曜日

ビール嫌いでも試す価値があるビール

自分はビールが大嫌いです。大嫌いを通り越して憎いです。なぜこんなものが飲まれてるのか全く理解できません。

普段はこういう言い方はしないのですが、ビールは日本のダメなところが凝縮された飲み物だと言えます。「とりあえずビール」という悪習慣もですが、個人的に許せないのが「ビールの苦みが美味しい」という価値観です。これははっきり言って大嘘です。「苦みが美味しい」という価値観は、「仕事はつらいからよい」というくらい意味不明です。

ネットを検索しても、「苦みが美味しい」という根拠は全くありません。「抗ストレス作用がある」と言われても、別にストレスを溜めたいとは思いません。苦さは慣れると言われますが、それは単に舌が麻痺してるだけです。

世の中で「苦味"が"美味しい」という珍妙な言説がまかり通っているのはビールだけです。たとえば、コーヒーで重要なのは味や香りです。ブラックコーヒーを好む人が多いのは、ブラックの方が味や香りを楽しめるからです。自分も良いコーヒーはブラックで飲むこともあります。

ゴーヤーも苦味が特徴の食べ物ですが、苦味を和らげる方法が広く知られています。また、代表的な料理であるゴーヤーチャンプルーは、様々な食材を混ぜることによって、"苦味を含む美味しさ"を創り出しています。

また、自然のものには、苦味と旨味を両方含むたべもの食べ物が多くあります。苦いからと避けていると、美味しいものに出会う機会を逃します。だから、「苦味は大人の味」というのは大嘘で、「"苦味を含む美味しさ"が分かるのが大人」です。

仕事も同じです。仕事はつらいこともありますが、楽しいこともあるし、達成感もあります。つらいことを全て避けてたらその楽しさにも出会えませんが、つらいことばかりだと続きません。要はバランスです。

しかし、ビール好きはなぜか、苦いからビールが嫌いという人に、なぜか苦味が美味しいという価値観をごり押しします。当然そんな考えは理解できません。だからビール離れをするのは当たり前です。

世の中には「ビールが苦手な人でも飲める」と言われてるものもあります。しかし、これも論外です。なぜなら、これらのほとんどは苦味が少ないだけです。そんなもの好んで飲みたいとは思いません。

なぜここまでねちねちねちねちビールの悪口を書いているのかというと、世の中で売られているビール類を一通り飲んだからです。そしてどれも「飲めたものじゃない」という結論に至りました。実際、ほとんどのビールは100ml飲めたら良い方で、途中で捨てました。

ただ、いろいろ飲んだ中で、これだけは続けて飲んでもいいなぁと思ったのが2つありました。それが「ホワイトベルグ」と「銀河高原ビール」です。

最初ホワイトベルグを飲んでみたときの感想は「ビールとは全く別物」でした。しかも、苦さがない以上に、コリアンダーの風味という別の良さを持ってきています。苦味が少ないだけなら飲む価値はありませんが、この風味ならアリです。

このホワイトベルグがきっかけでビールの飲み比べをしたのですが、その中でびっくりしたのが、もう一つの「銀河高原ビール」です。何がびっくりしたかというと、味はもちろんですが、麦芽、ホップ、水だけで作られていることです。ビールと同じ原料で全く違うものが作れるのかとびっくりしました。

後で調べてみたのですが、これはどちらも「白ビール」と呼ばれるものでした。ホワイトベルグはベルジャンスタイルホワイト系(厳密には違うらしい?)、銀河高原ビールはヴァイツェンと呼ばれる種類です。小麦を多く使っているのが特長です。

ただ、白ビールが全て当たりではなく、続けて買って飲んでもいいかなと思ったのがこの2種類だけでした。白ビールでも自分には苦味の方が強く、好みでないものがありました。だから、「試す価値はある」とやや控えめな表現です。

ビールをいろいろ飲み比べて分かったのは、「世の中にビールの種類はたくさんある」という当たり前の事実です。日本で広く売られているビールは、ピルスナーというごく一部にすぎません。その狭い世界の中で味の議論をするなんてマヌケ以外の何ものでもありません。日本のビールはあまりに貧困でした。

しかしようやく、貧困だった日本のビールもまともになってきました。エールタイプのビールも普通に見かけるようになり、地ビールも珍しいものではなくなってきました。特に地ビールはヴァイツェンが多いようで、旅行での楽しみが増えました( ´ω`)

2015年11月15日日曜日

「坊っちゃん」は本当に松山をけなしているのか

自分は昔は文学はほとんど読まなかったのですが、大人になってからそれなりに読むようになりました。その中でも好んで読んでるのは、太宰治と夏目漱石です。この二人は特に読みやすくて現代にも通じる作品が多く、人気があるのも頷けます。

夏目漱石の代表作の一つが「坊っちゃん」ですが、松山は名前に坊っちゃんを付けたものが多いです。昔は坊っちゃん団子くらいだったのですが、スタジアムとか劇場とかにも付くようになって、新施設ができると「これも坊っちゃんになるのかなぁ」と思ったりします。

「これも坊っちゃんになるのかなぁ」と書きましたが、別にイヤじゃありません。というより、名前は正直どうでもよいと思ってます。「坂の上の雲」に比べたら、「坊っちゃん」って単語は呼びやすくて使いやすいなぁというくらいの認識です。

その「坊っちゃん」ですが、よく松山をボロクソにけなしている、そんなものを松山はなんで推しているのだと言われます。しかし読んでみると全然そんなことはありません。その点について書いてみます。ただし、舞台が松山という前提で書きます。

1. この話はあくまでフィクション

夏目漱石本人の体験が元になってるのは間違いなく、モデルとなった人物がいるかもしれませんが、あくまでこれはフィクションです。いたずらをする生徒、強い人にへこへこする人など、どこにでもいそうな人ばかりです。逆に、どこにでもいそうな人物像を描いているからこそ、100年経っても読まれています。

2. 主人公は「典型的な江戸っ子」

Wikipediaでの江戸っ子の項目には「見栄坊」「向こう見ずの強がり」「喧嘩っ早い」「生き方が浅薄で軽々しい」「独りよがり」が挙げられていますが、主人公はまさに典型的な江戸っ子です。宿屋で五円を奮発したら後で困ったというエピソードはまさに「見栄」と「向こう見ず」です。

しかし一方で、主人公は「あなたは真っ直でよいご気性だ」と清に言われた通り、どこまでも真っ直ぐです。真っ直ぐな人が生きにくいのは昔も今も変わりませんが、真っ直ぐな主人公だからこそ、人々に愛されています。これがもし上から目線でイヤミな人なら、この物語は成り立ちません。

3. 「都会 vs 田舎」 でなく「1地方と1地方」

どこにでもありそうな人物像と、典型的な江戸っ子たる主人公、その2つを前提として読むと、ボロクソに言っている箇所は実はほとんどありません。「田舎者」という表現がよく出てきますが、単に「自分の育ったところが一番」を表す表現にすぎません。

そのことを表す典型的な文章があります(青空文庫より)。以下の文章は一見、飯がマズいとボロクソに書いているように見えますが、実はそうではありません。
挨拶が済んだら、あちらでもチュー、こちらでもチュー、という音がする。おれも真似をして汁を飲んでみたがまずいもんだ。口取に蒲鉾はついてるが、どす黒くて竹輪の出来損ないである。刺身も並んでるが、厚くって鮪の切り身を生で食うと同じ事だ。それでも隣り近所の連中はむしゃむしゃ旨そうに食っている。大方江戸前の料理を食った事がないんだろう。
「刺身が厚い」のがダメで、その例えが「鮪の切り身を生で食う」というのは、悪口のようで、悪口になっていません。「鮪の切り身を生で食う」の反対はもちろん「鮪をヅケにする」ですが、ヅケにするのは保存のためで、「江戸前といえばヅケ」という価値観を表していると考える方が自然でしょう。「蒲鉾」と称されているものについても「どす黒い」と評されているだけです。マズいならもうちょっと別の表現をします。

つまり、この悪口になってない悪口は、「東京(江戸前)という1地方の価値観で松山の料理を見た」にすぎません。「まずいもんだ」と言ってるのは、「自分の舌に合わない」にすぎません。

松山よりももっとボロクソに言われている延岡に関しての記述も同じです。
延岡と云えば山の中も山の中も大変な山の中だ。赤シャツの云うところによると船から上がって、一日馬車へ乗って、宮崎へ行って、宮崎からまた一日車へ乗らなくっては着けないそうだ。名前を聞いてさえ、開けた所とは思えない。猿と人とが半々に住んでるような気がする。
延岡は城下町なので、開かれてないはずがありません。少なくとも「猿と人が半々に住んでる」なんてありえません。つまり、この記述は、主人公の「世間知らず」「物知らず」を表しています。

まとめると、主人公は「世間知らずだが、真っ直ぐな江戸っ子」です。だから、表面的には悪口を言っているようでも、本質的にはいい人です。つまり、分かりやすい言い方をすると、主人公はツンデレです。

余談:蒲鉾=じゃこ天?

これ書いている時に、「口取に蒲鉾はついてるが、どす黒くて竹輪の出来損ないである。」の「蒲鉾」は何かというのが気になりました。これってじゃこ天じゃないかと気付きました。じゃこ天だとすると、整合性がつきます。

  • お吸い物にも入れられる
  • 蒲鉾としてみると「どす黒い」
  • ちくわに似てなくもない
ネットで検索しても誰も言及している人はいないのが謎です。フィクションだからそこまで気にしてないのかなぁ。