ドラッカーの「民営化」は誤解されている

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松山市の水道料金が上がったというデマ

以前書いたんですけどね。

ドラッカーによる「民営化」の定義

ドラッカーは1969年の「断絶の時代」において、 「再民間化」という言葉を用いて、民営化の意義を書いています。 p238〜p239に以下のように書かれています。

ちょっと長いですが、誤解されないように長めに引用します。

政府の仕事は、社会のために意味ある正しい意思決定を行うことである。 社会のエネルギーを結集させることである。 問題を浮かび上がらせることである。 選択を提示することである。換言するならば統治することである。

しかしこのことは、すでに明らかなように実行することとは両立しない。 統治と実行を両立させようとすれば、統治の能力が麻痺する。 意思決定のための機関に実行させても貧弱な実行しかできない。 それらの機関は実行に焦点を合わせていない。 体制がそうなっていない。そもそも関心が薄い。

今日軍や行政府や病院がマネジメントのコンセプト、原理、方法について 企業を参考にしていることには、理由がある。

企業はこれまでの30年間、今日の政府が直面している問題すなわち 統治と実行の両立に取り組んできた。その結果アメリカの企業の経営陣は、 この両者を分離し、特にトップの機関すなわち意思決定者を実行から 分離させなければならないことを学んだ。

もちろんこの言葉は誤解されやすい。 トップマネジメントの弱体化を意味しかねない。 だが構造と秩序の原理としての分権化の目的は、 トップマネジメントを強化し、トップとしての仕事を行えるようにすることにある。 実行はそれぞれの使命と目的をもつ現場のマネジメントに任せ、 中央のトップが意思決定と全体の方向づけに集中できるようにすることにある。

国にこの教訓を適用するならば、実行の任にあたるものは、 まさに政府以外の組織でなければならない。

国における分権化とは、地方政府が実行の任にあたるという連邦制のことではない。 実施、活動、成果という実行に関わる部分は、政府以外の組織が行うという原則のことである。 この原則は、再民間化と呼ぶことができる。

これを簡単にまとめると、以下のようになります。

  • 統治と実行を両立させようとすると、どちらもうまくいかなくなる。
  • 企業はその問題を解決するために、統治(トップマネジメント)と実行(現場のマネジメント)に分離した。
  • 政府にこれを適用するならば、実行は政府以外の組織が行う必要がある。

民営化は「官から民」ではない

ドラッカーの定義によれば、民営化は「官から民」ではありません。 実行は民間が行いますが、統治するのは官のままです。

日本でこれがうまく言っている一番の例は、通信事業でしょう。 通信事業は基本的には自由化されていますが、 ユニバーサルサービス制度によって、過疎地域でも電話が引けることを保証されています。 また、その料金は事業者の言い値ではなく、客観的な方法で決められています。

参考文献