自分で学べない人はお荷物になる時代
「プライベートでは一切勉強したくない」というエンジニア
正直信じられませんね。
「別に1日何時間も詰めて勉強しなくても、電車の中で1日30分勉強するだけでも全然違うわけですが」と言ってるんですが、それすらイヤな人がいるらしい。
これが定年が近い人や、育児で時間がない人の言葉なら分かります。 でも、若い人でこの考え方はマズいです。
勉強しない、年収が低い日本のエンジニア
しかし、プライベートで勉強したくないエンジニアは珍しくないようです。
業務と関係なく勉強しているエンジニアはわずか5人に1人、 それどころか業務外ではほとんど勉強しないエンジニアが3人に1人もいます。
勉強しないからスキルが低く、そして年収も低い。ダメですね。
学ぶことに責任を持つのは労働者
でもこう反論する人がいるでしょうね。
「それは会社の責任じゃないの?」
もちろん勉強するためには時間とお金が必要です。 残業漬けで勉強する暇を与えない企業は論外です。
まあ、この件については業務に必要なスキルについては業務時間内で学習してもらっているようですが。
よって会社としてどうしても習得してもらわないと困るスキルが社員に不足している場合には、会社の業務時間を使って研修を行います。 Aさんを採用したときにも、最初の数か月間はプログラミングの研修に時間を当てて、プログラミングを習得してもらいました。
しかし**「会社におんぶにだっこ」では何も変わりません**。
ドラッカーも成果をあげ、成長する責任は組織ではなく、自分にあると書いています。
しかし、これらのことすべての前提となるべきもっとも重要なこととして、成果をあげ続け、成長と自己変革を続けるには、自らの啓発と配属に自らが責任をもつということがある。
これはおそらく、かなり耳新しい助言と聞こえよう。しかしこれは、とりわけ日本のような国においては実行がむずかしい。企業にせよ、政府機関にせよ、日本の組織は、一人ひとりの人間を配属する責任や、彼らが必要とする経験や挑戦の機会を与える責任は、組織の側にあるという前提で運営されているからである。
「別に成長したくないよ」というのなら別に構いません。
ただ、そういう人は自分で成長するエンジニアに抜かれるでしょう。 失業するかもしれません。逆に今のまま運良く生き残れるかもしれません。 「自分の選択の結果には責任を持ちましょう」というのはそういうことです。
でも、今のまま運良く生き残ることは期待できません。 なぜなら、今のままだと生産性が上がらず、日本自体が厳しくなるので。
遊ぶように勉強する
でも、どうしても業務外に勉強したくない人へ。
遊べばいいんですよ。
自分は仕事と関係ないことばかり学んでます。 しかし運よく仕事にも役立つこともあります。
遊ぶように勉強できれば、遊ぶように仕事できます。 それは無理でも、仕事が今よりも楽しくなります。
「仕事は辛いものだ。何もしたくない」ですって?
まずその考えからやめないとダメですね。 どんどん苦しくなりますよ。
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