2015年10月30日金曜日

なぜ企業は東京に人を集めたがるのか

以前からずっと不思議だったのが、なぜ企業は地価の高い東京、しかも都心に人を集めたがるのかという点でした。特にIT企業が東京に集中するのかが謎です。

都心にオフィスがあることを否定するわけではありません。営業とかは都心にあった方が便利でしょう。ただ、開発はわざわざ都心でなくても、郊外でも十分です。日本IBMも大和事業所があって、こっちは通勤地獄もなく、ゆったりとした環境でした。

よく言われるのは「人を集めるのに有利」ですが、自分はそうは思いません。都会の方が優秀なのはせいぜい新卒くらいで、本気で人を育てるつもりがあるなら、サイボウズのように松山にオフィスを構えてもいいわけです(いつの間にか移転してましたね)。「知識」もネットが当たり前、せいぜい週末にイベントに行ければ十分です。

なので、ずっと不思議だったのですが、この間、都心に人を集める理由が分かりました。それはこれです。

人をいつでも捨てられるから

例えば地方に大きな工場を建設すると、もしその工場を閉鎖せざるをえなくなったときに、大問題になります。若い人なら引っ越しできますが、家を買ってるとなかなかそうはいきません。一方で、都心にオフィスを構えていると、簡単に閉鎖できます。

「捨てる神あれば拾う神あり」と言いますが、それはあくまで「まだ使える人」です。何らかの理由で精神的に病んだり、何か問題がある人はそのまま捨てられるだけです。東京では人の使い捨てが当たり前なので、毎日のように人身事故が起きても「電車が止まって困る」という程度に感覚が麻痺しています。

自分は精神的に病んだ上で内定取り消しされて無職になりましたが、親に「実家に帰ってこい」と言われなければ、飛び降り自殺しててもおかしくない状態でした。もし自殺しても、3ツイートくらいされてそれで終わりでしょう。

一方で、今の会社では、「今いる人で何とかしよう」が基本です。徐々に人は増えてきていますが、「この人がダメだから別の人と入れ替えよう」って考えは全くありえません。体調が悪い時は休むし、家庭の事情で休みます。仕事は大変でも、人を使い捨てるなんて発想が全くありえません。

インターネットが当たり前の時代、都心だけで人を集めるのはものすごいハンデだと思います。土地が高い上に、通勤地獄による無駄な時間、情報過密による思考の硬直化と、問題は山積みです。10kgの足かせをつけて、世界の強豪を相手にマラソンをするようなものです。勝てるはずがありません。

しかし、それでも東京都心にオフィスを構えたがる理由はただ一つです。いかに人を捨てられるかが最も大切だからです。

2015年10月25日日曜日

"あなた"は幸せですか?

日々ネットはつまんねーなと思いながら過ごしている毎日ですが、そのきっかけとなった事件があります。それは、「おおかみこどもの雨と雪」を見たときの、一部のネットでの反応に違和感を持ったことです。

それは、育児のために都会を離れて、田舎に引っ越したのですが、その田舎生活が好意的に描かれているのが許せないという反応です。確かに、いきなり田舎に行って農業を始めてうまくいくのはちょっと出来すぎかなぁと思いながら見てました。

でもこれはアニメです。フィクションです。多少現実離れしてても面白ければ別にいいんです。少なくとも、一部のネット民のような「許せない」という反応は当初全く理解できませんでした。なんでそこまで猛烈に批判するのだろうと。

おそらく、その人たちにとっては、田舎は経済的に困窮していなければならず、人間関係は都会より陰湿でなければならず、否定されるものでなければならない、だからこの表現が許されないのだと思います。

しかし、それだけでは終わらない違和感がありました。その違和感の元を探っていくと、一つの結論に至りました。その人たちは不幸だと。

自分は不本意にも(?)松山に来てから、他人と比較するのは止めました。最初は「どうせ一度死んだ身だから」と思ってましたが、徐々に健康になってきて、この映画が上映されたころには、もう東京に戻りたくないわーと思ってました。

でも、別に東京に住んでて満足している人には何とも思いません。その人には東京が合って、自分には合わなかったというだけです。自分はこのブログで、「東京嫌い」を全面に押し出していますが、それは何より、自分が幸せになったこと、そしてその理由を書くのが面白いからです。

しかし、「田舎が好意的に扱われるのが許せない」という人からは、負のオーラが大量に出ています。さらに言えば、ネット民のほとんどから、負のオーラが大量に出ています。何で自分と関係のないことにこんなに怒れるんだろう?と。

一方で、ネット民が見下している普通の人は、少なくともネット民よりは幸せです。この構図はあまりにもマヌケです。日々自分に関係ない、的外れの「情報」を得て、そのために不幸になっている、これほどバカげた話はありません。さらに、その不幸を周りに押し付けられると迷惑です。

他人に不幸を押し付ける前に自分に問うべきです。"わたし"は幸せですか?と。

2015年10月18日日曜日

「内部統制」こそが不正を増やす

何か問題を起こした企業に対して、「内部統制が足りない」と言われることがあります。しかし、これは全く逆で、自分は内部統制をすればするほど不正は増えると断言します。したがって、SOX法は世紀の悪法で、少なくとも日本では早急に廃止すべきです。

その理由は、1つは日本IBMでの苦い経験があるからです。日本IBMでは2004年頃から内部統制が厳しくなりましたが、内部統制を進めれば進めるほど窮屈な会社になり、生産性は落ちました。どれくらいうんざりしているのかというと、内部統制の象徴である、Integrityという単語が嫌いになったほどです。

生産性はともかく内部統制によって不正は減ったのかというと、むしろ増加しています。Wikipediaにもありますが、2007年頃から事件が増えています。さすがに当時の社長が盗撮で捕まるとかあまりにできすぎて苦笑いするほどですが、内部統制をすればするほど不正が増える分かりやすい例です。

もちろんこれは1社の例ですが、これが起きる理由を説明します。これが次の図です。


一番左が、内部統制を行う前の状態です。そして、この円は通常の業務として行われている範囲、別の言い方をすると裁量を表しています。この通常の業務の中で、何か不正が行われたとします。

このときに、内部統制では、この円自体を小さくすることで不正が起こらない対処を行います。この結果が中の図です。ここでも不正が起きると、さらに内部統制を進め、右側の図になります。これを進めると、正当な業務はただの1点に収束します。すなわち、裁量が全くなく、すべてが機械的に行われるのが内部統制の究極の姿です

当然ながら、これは非効率以外の何物でもありません。特に日本では、現場の優秀さが競争力の源であり、内部統制をすることは、現場の力を削ぐのと同義です。だから、内部統制をすればするほど、会社の競争力が落ちます

さらに、内部統制は、もう一つの問題を引き起こします。それは、間接部門の権力増大です。

内部統制は必然的に、チェックする側、すなわち間接部門の権力を増大させます。間接部門はその名の通り、直接顧客と関わったり、直接製品に関わりません。すなわち、現場を知りません。その代わりに、みんなが共通に持っている負担を減らすことで、間接的に現場を手助けする役割です。協力関係であり、上下関係ではありません。

しかし、内部統制によって、間接部門が上に立ってしまいました。別の言い方をすると、現場の本音と、間接部門の建前が食い違うときには、間接部門の言い分が「正しい」ということになってしまいました。通常は本音と建前を一致させる必要はありませんが、内部統制は本質的に、この違いを許しません。

このような状態に立たされた時に、現場が取りうる方法は二つしかありません。「本音を捨てて建前を取る」「本音を取って建前を捨てる」のどちらかです。前者を取れば生産性を落とす窮屈な会社となり、後者を選べば、それはすなわち「不正」です。後者を選んでも結果的に問題がなければ見逃されることもありますが、問題があれば不正として厳しく追及されます。

よって、内部統制は生産性の低下を引き起こし、必然的に、不正を増加させます。百害あって一利なしの、根本的に間違っている方法です。

では、どうやったら不正をなくせるのでしょうか。その答えは「ない」です。人という曖昧な存在が関わる以上、不正をなくすことはできないし、かといって人を排除すると競争力を失います。まずその答えは「ない」と認識することが大切です。なので、内部統制という考え方はそもそも間違っています。

その上で、不正を減らすことは可能です。例えば横領を減らすなら、横領に対する厳罰化か、あるいは逆に、お金の相談を受けやすくする手が思いつきます。もちろん業務自体を見直し、規制で対処するしかない場合もありますが、不正をなくすことを最優先にするのではなく、現場の効率化とうまくバランスを取ることが必要です。

これを一般には「マネジメント」と言います。一方で、内部統制は"Internal Control"という単語が使われています。すなわち、別の言い方をすると、「コントロールでなくマネジメントをさせろ」というのが自分の答えです。