2015年12月15日火曜日

日本IBMのブラック化を止められなかった理由

リンクしませんが、日本IBMで退職勧奨を繰り返してうつ病になった人が労災認定されたというの話を目にしました。この記事を見てふと思い出したことがあるので、書きます。

日本IBMは日本を代表するブラック企業ですが、ブラック企業になった大きな理由は次にあります。

共産党系の労働組合しかなかったから

まさにその勝ち取ったと誇るその共産党系の労働組合こそが、日本IBMをブラック企業にした最大の要因です。その理由を以下に書きます。

日本IBMに入った時に、労働組合のチラシをもらいましたが、当然のように、みんな完全無視でした。彼らからしたら「闘う労働組合」のつもりでしょうが、こちらから見ると、単なる負け犬、会社に嫌がらせをするためだけの存在にしか見えませんでした。そのような労働組合が会社をダメにすることは、みんなよく知っています。そんなものに入るはずがありません。なので、日本IBMにおける、労働組合の組織率はほぼゼロでした。

しかし、従業員からも無視される「闘う労働組合」の存在により、「団体交渉」という考えまで奪われてしまいました。その結果が、会社のいいなりになる従業員です。会社に何となく不満があっても一人では言い出せません。

自分自身が苦しいときにも、当然ながら一般社員から孤立している「闘う労働組合」は何の役にも立ちませんでした。つまり、日本IBMの労働組合は存在しない方がマシという状態です。そのような労働組合が勝ち誇ることが自分からすると腹立たしいです。

これは労働組合に限った話ではありません。本来の役割を忘れた、「自称弱いものの味方」は、普通の人々からそっぽを向かれます。そしてだんだん先鋭的になり、先鋭的になることによってさらに人々からそっぽを向かれ、衰退していきます。

伝統宗教が衰退しているのも同じ理由です。本来の役割を忘れて、普通の人々の感覚から離れた政治的活動に走った宗教ほど、害悪なものはありません。こんな体たらくだからカルト宗教がのさばるし、信長でなくても焼き討ちしたくなります。

世の中には「自称弱いものの味方」でなく、本物の弱いものの味方が必要です。

2015年11月22日日曜日

ビール嫌いでも試す価値があるビール

自分はビールが大嫌いです。大嫌いを通り越して憎いです。なぜこんなものが飲まれてるのか全く理解できません。

普段はこういう言い方はしないのですが、ビールは日本のダメなところが凝縮された飲み物だと言えます。「とりあえずビール」という悪習慣もですが、個人的に許せないのが「ビールの苦みが美味しい」という価値観です。これははっきり言って大嘘です。「苦みが美味しい」という価値観は、「仕事はつらいからよい」というくらい意味不明です。

ネットを検索しても、「苦みが美味しい」という根拠は全くありません。「抗ストレス作用がある」と言われても、別にストレスを溜めたいとは思いません。苦さは慣れると言われますが、それは単に舌が麻痺してるだけです。

世の中で「苦味"が"美味しい」という珍妙な言説がまかり通っているのはビールだけです。たとえば、コーヒーで重要なのは味や香りです。ブラックコーヒーを好む人が多いのは、ブラックの方が味や香りを楽しめるからです。自分も良いコーヒーはブラックで飲むこともあります。

ゴーヤーも苦味が特徴の食べ物ですが、苦味を和らげる方法が広く知られています。また、代表的な料理であるゴーヤーチャンプルーは、様々な食材を混ぜることによって、"苦味を含む美味しさ"を創り出しています。

また、自然のものには、苦味と旨味を両方含むたべもの食べ物が多くあります。苦いからと避けていると、美味しいものに出会う機会を逃します。だから、「苦味は大人の味」というのは大嘘で、「"苦味を含む美味しさ"が分かるのが大人」です。

仕事も同じです。仕事はつらいこともありますが、楽しいこともあるし、達成感もあります。つらいことを全て避けてたらその楽しさにも出会えませんが、つらいことばかりだと続きません。要はバランスです。

しかし、ビール好きはなぜか、苦いからビールが嫌いという人に、なぜか苦味が美味しいという価値観をごり押しします。当然そんな考えは理解できません。だからビール離れをするのは当たり前です。

世の中には「ビールが苦手な人でも飲める」と言われてるものもあります。しかし、これも論外です。なぜなら、これらのほとんどは苦味が少ないだけです。そんなもの好んで飲みたいとは思いません。

なぜここまでねちねちねちねちビールの悪口を書いているのかというと、世の中で売られているビール類を一通り飲んだからです。そしてどれも「飲めたものじゃない」という結論に至りました。実際、ほとんどのビールは100ml飲めたら良い方で、途中で捨てました。

ただ、いろいろ飲んだ中で、これだけは続けて飲んでもいいなぁと思ったのが2つありました。それが「ホワイトベルグ」と「銀河高原ビール」です。

最初ホワイトベルグを飲んでみたときの感想は「ビールとは全く別物」でした。しかも、苦さがない以上に、コリアンダーの風味という別の良さを持ってきています。苦味が少ないだけなら飲む価値はありませんが、この風味ならアリです。

このホワイトベルグがきっかけでビールの飲み比べをしたのですが、その中でびっくりしたのが、もう一つの「銀河高原ビール」です。何がびっくりしたかというと、味はもちろんですが、麦芽、ホップ、水だけで作られていることです。ビールと同じ原料で全く違うものが作れるのかとびっくりしました。

後で調べてみたのですが、これはどちらも「白ビール」と呼ばれるものでした。ホワイトベルグはベルジャンスタイルホワイト系(厳密には違うらしい?)、銀河高原ビールはヴァイツェンと呼ばれる種類です。小麦を多く使っているのが特長です。

ただ、白ビールが全て当たりではなく、続けて買って飲んでもいいかなと思ったのがこの2種類だけでした。白ビールでも自分には苦味の方が強く、好みでないものがありました。だから、「試す価値はある」とやや控えめな表現です。

ビールをいろいろ飲み比べて分かったのは、「世の中にビールの種類はたくさんある」という当たり前の事実です。日本で広く売られているビールは、ピルスナーというごく一部にすぎません。その狭い世界の中で味の議論をするなんてマヌケ以外の何ものでもありません。日本のビールはあまりに貧困でした。

しかしようやく、貧困だった日本のビールもまともになってきました。エールタイプのビールも普通に見かけるようになり、地ビールも珍しいものではなくなってきました。特に地ビールはヴァイツェンが多いようで、旅行での楽しみが増えました( ´ω`)

2015年11月12日木曜日

東京が日本で一番貧しい理由

最近自転車で通勤なり、ぶらぶらしてて気づくことが2つあります。1つは、松山は案外中心部でも農地が多いことです。専業農家を営めるほど大きくはありませんが、趣味でやるほど小さくもない農地がちらほらあります。2つ目は、松山はものすごく車が多いことです。通勤時や日曜夕方になると、各地で渋滞を引き起こします。

なぜこの2つが気になるのかというと、松山市はコンパクトシティとして知られているからです。コンパクトシティだから土地は少なそうにもかかわらず農地があり、コンパクトシティだから自転車で通勤できるにもかかわらず、車に頼っている。それが自分の中で違和感として出てきています。

車を観察すると、さらに1つのことが見えてきます。それは、「ほとんどの車は1人しか乗っていない」という事実です。1人しか乗ってない車が渋滞を引き起こすのはまさに「ムダ」です。もっと自転車使えばいいのになぁと思います。

こうして考えると、世の中の多くはムダだらけです。例えば、自動販売機が緊急時に住所を知る方法として使われていますが、少なくとも、需要がほとんどない場所に何台もあるのはムダに見えます。

最近気になっているのは、「地価」というムダです。地価は高い方がいいと言われていますが、そんなはずはありません。なぜなら、土地自体は何ももたらさないからです。直感だけでいうと、1部屋当たり30万、1m^2あたり2万円くらいが適正価格かなと思います。

商業地で地価が上がるのはあくまで"しょうがない"で、安いに越したことはありません。50台のバブルが忘れられないくたびれたおっさんならともかく、バブルを知らない若い人で同じ考え方をしているのは完全にマヌケです。

なぜ地価が気になるのかというと、家庭菜園レベルでいいので、農業ができないかなぁと思ってるからです。貸し農園ならありますが、場所が遠いんですよね。あとそもそも、農地を買うのは面倒らしいです。この悩みを土地が余っている地域の人からみたら、マヌケに見えると思います。

ただ、これはあくまでトレードオフの関係です。松山はコンパクトで普段住むには困らないというメリットがあり、田舎だと住むためのコストが小さいですが、その分不便さがあります。逆にもっと大きい都市だと便利ですが、コストはさらにかかります。

しかし、松山より大きい都市に対して、ここに住みたいなぁと思うことはほとんどありません。モノだけならネットで買うか、ちょっと待てば地元でも買えるものがほとんどです。気になるイベントはありますが、毎週のイベントの代わりに毎日地獄のような満員電車に乗りたいか?と言われたら明らかにノーです。

一般には人口が少ないほど不便さは多いがコストが小さく、大都市になるほど便利ですがコストが高いです。この法則は今でも変わりません。この関係を図で表すと以下のようになります。

しかし、これはあくまで20年前、30年前のイメージです。20年前、30年前と比較すると、「便利さ」と「コスト」の関係が逆転しています。

30年前は明らかに地方に住むのは不利でした。例えば、自分は将棋がそこそこ強かったのですが、周りに将棋を指せる人がほとんどいなくて、プロを目指す方法も全く分かりませんでした。

でも今はネットで対戦できて、ちょっと検索すれば奨励会の入り方も分かります。もちろん今でも奨励会に通うには東京か大阪に行く必要があるので地方は不利ですが、昔の「道が閉ざされている」状況と比べると格段の差です。

モノを買うのもネットのおかげでだいぶ楽になりました。そもそも昔は世の中にそもそもどんなモノがあるのかすら知りようがありませんでした。また逆に、モノを持つことが豊かさではないという価値観の変化も現れています。

一方で、大都市のデメリットは以前とほとんど変わっていません。混雑率は30年前と比べると下がっていますが、相変わらず東京圏は通勤地獄です。大阪圏は御堂筋線が混雑するくらいで、他はそうでもないですが。

なので、現在のイメージはこちらになります。ちなみに、この図はあえて空気の綺麗さとか、自然の豊かさといった、「田舎の豊かさ」という概念を省いて、あくまでこれまでのモノ中心の価値観で考えています。それでもこれくらいの差が現れています。


人が増えているにもかかわらず、有効な資源はさほど増えていない、つまりは少ない資源を奪い合っているのが今の東京です。それは貧しい以外の何物でもありません。東京で起きている問題を見ると、自分には理解できないことが多く、「貧しいからこんなことをするのだな」といつも思います。

2015年11月8日日曜日

絶対迷わない初心者向け日本酒の選び方

以前は日本酒はほとんど飲まなかったのですが、最近日本酒もアリかなぁと思っていろいろ飲んでます。まだ全然分からないし、飲み続けるかどうかも分からないのですが、こんな感じのがいいなぁというのは見えてきました( ´ω`)

ネットには初心者向けの記事がいろいろあるのですが、どれ見ても全く初心者向けではありません。純米酒、吟醸酒、本醸造酒とかいろいろあって、「純米酒=米だけで作られている」とか知識としては良いですが、全くの初心者からすると、そんなこと言われてもどれ飲めばいいか分からんというのが本音です。

そもそも、ネットの記事のほとんどが初心者のためではなく、アフィリエイトのために書いた記事です。自分の好きな日本酒をお勧めしたいのなら、1つか2つリンク貼れば十分で、5つも日本酒を並べている時点で、アフィリエイト目的なのが明白です。

一方で、居酒屋で3種類飲み比べもやったことあるのですが、その時は美味しく飲めても、何を飲んだのか、どれが良いのか全く覚えてませんでした(ノ∀`)

というわけでこんな記事を書いていますが、誰にでも勧められる記事ではありません。対象となるのは以下のような人です。
  • ある程度自由にできるお金がある(社会人1年目程度)
  • 美味しければ味にこだわりがない
  • 近くにある程度酒を売ってる店がある
逆に言えば、お金がない学生、最初から好みが分かってる人、近くに店がない人は除きます。それ以外の人で、日本酒に興味があるけど、買い方が分からない人は、次のようにして買ってください。
  1. 近くのスーパーに行く
  2. 日本酒コーナーで「純米吟醸」と書かれた300mlのものを探す
  3. その中から、どれでもいいので買う
理由を説明します。なぜこれで迷わないのかというと、「純米吟醸で300ml」のものは、1つのスーパーに1つか2つしかないからです。そもそも1つか2つしかないので迷いようがありません。それでも決まらないなら数え歌でも歌ってください( ´ω`)

スーパーで買う理由は、入手しやすいからです。スーパーで300mlで買えるお酒は、ほとんどが地元(県内産)のお酒で、気に入ったら720ml、1.8Lも簡単に買えるものばかりです。

あくまでとっかかりですが、それでもスーパーで買うのが不安な人は、専門店にどうぞ。選択肢は増えても、選び方は同じです。コンビニにも置いてあることが多いです。ただ、激安スーパーやドラッグストアにはまず置いてません。ネットで買うのは面倒なので、とっかかりにはお勧めしません。

「純米吟醸」を選ぶ理由は、"日本酒らしさ"が分かりやすいからです。どんなお酒でも、まずはその人によって好みがありますが、日本酒は米のお酒なので、米の美味しさが出てる方がとっかかりにいいと思います。

「純米大吟醸」でないのは、値段が高い上に、そもそも300mlで売ってないからです。もし売ってて、買うのに躊躇しない値段なら、選択肢の1つに入れていいと思います。

最後に、純米吟醸は高めですが、それでも300mlなら、500〜600円台で買えます。社会人の金銭事情なら、失敗しても"勉強代"で済まされる金額です。あと、このクラスになると、少なくともマズいということはありません。

その選んだ1本が合うにしろ合わないにしろ、それが一つの基準です。同じ純米吟醸で他の銘柄を飲めば、味の好みが分かり、純米酒を飲むことで、吟醸造りの特徴が分かります。たったそれくらいですが、最初の一歩も踏み出せない人にとってのとっかかりとしては十分だと思います。

日本酒を飲み始めて思ったのが、「ハズレが少ない」ということです。ビールはまともに飲めるものが片手に満たないほどで、ワインは嫌いじゃないけど、好き嫌いが激しいのと比べると、日本酒はハズレがないなぁと思います。その代わり口当たりや後味で好みがはっきり出ますが( ´ω`)

最近はスパークリング日本酒が流行ったり、一部の日本酒が大人気で手に入らない現象も起きているようですが、そもそも日本酒は美味しいもので、大して高いものでもありません。日本酒が過小評価されているのは実にもったいないと思います。

「冷たい東京人=地方出身者」というのは本当か

東京人は冷たいとよく言われますが、その反論として、冷たい東京人は地方出身者とよく言われます。

これは、「事実」としては正しいと思います。東京でも、昔から住んでる人には優しいイメージがあります。ただ逆に、どこの地方でも地元の人は基本的には優しいです。だから、「冷たい東京人は地方出身者」という表現は間違ってはいませんが、正確ではありません。

では、自分はどう考えているかを書きます。

冷たい東京人="地元を捨てた" 地方出身者

"あなた"は幸せですか?で書いた通り、東京にいることによって不幸になっているにもかかわらず、それでも東京にしがみついている人が多くいます。一方で、自分は親に「実家に帰ってこい」と言われたら帰って、そのまま松山で再就職して、そのまま6年以上経っています。

なぜこれができるのかというと、自分は地元を捨てなかったからです。親との関係も良好で、大学は大阪に、就職は首都圏に行ったのも単に「面白そうだったから」で、Uターンすることに戸惑いはなかったからです。

一方で、「冷たい東京人」は、地元を捨てて東京に来ています。地元を捨てたから、地元には戻れないし、地元に対して辛辣に当たります。何かを捨てることに躊躇がないから、人を簡単に使い捨てします。こうして、「冷たい東京人」が出来上がります。

これは東京特有の現象です。なぜかというと、他の場所では、地元の人と、他からやってきた人が分かれていないからです。「よそ者に冷たい」というのは、単に「よその論理」をそのまま強引に持ち込もうとするのが嫌われているだけです。特に東京人は自分達の論理が正しい、上だと勘違いしています。だから嫌われます。

そもそも、地元を捨てる必要なんてありません。家庭の事情で親と合わなかったりすることもあったり、相手から捨てられてしかたなく地元を出るケースもありますが、わざわざ捨てる必要はありません。ちょっと遊びに行ってくるかくらいで十分です。

何かを捨てる人は、必然的に捨てられる側に回ります。ネット民はよく「老人を見捨てて若者に金を回せ」と言いますが、間違いなくその人たちは、30年後には捨てられる側になるだけです。それでいいのでしょうか。

2015年10月30日金曜日

なぜ企業は東京に人を集めたがるのか

以前からずっと不思議だったのが、なぜ企業は地価の高い東京、しかも都心に人を集めたがるのかという点でした。特にIT企業が東京に集中するのかが謎です。

都心にオフィスがあることを否定するわけではありません。営業とかは都心にあった方が便利でしょう。ただ、開発はわざわざ都心でなくても、郊外でも十分です。日本IBMも大和事業所があって、こっちは通勤地獄もなく、ゆったりとした環境でした。

よく言われるのは「人を集めるのに有利」ですが、自分はそうは思いません。都会の方が優秀なのはせいぜい新卒くらいで、本気で人を育てるつもりがあるなら、サイボウズのように松山にオフィスを構えてもいいわけです(いつの間にか移転してましたね)。「知識」もネットが当たり前、せいぜい週末にイベントに行ければ十分です。

なので、ずっと不思議だったのですが、この間、都心に人を集める理由が分かりました。それはこれです。

人をいつでも捨てられるから

例えば地方に大きな工場を建設すると、もしその工場を閉鎖せざるをえなくなったときに、大問題になります。若い人なら引っ越しできますが、家を買ってるとなかなかそうはいきません。一方で、都心にオフィスを構えていると、簡単に閉鎖できます。

「捨てる神あれば拾う神あり」と言いますが、それはあくまで「まだ使える人」です。何らかの理由で精神的に病んだり、何か問題がある人はそのまま捨てられるだけです。東京では人の使い捨てが当たり前なので、毎日のように人身事故が起きても「電車が止まって困る」という程度に感覚が麻痺しています。

自分は精神的に病んだ上で内定取り消しされて無職になりましたが、親に「実家に帰ってこい」と言われなければ、飛び降り自殺しててもおかしくない状態でした。もし自殺しても、3ツイートくらいされてそれで終わりでしょう。

一方で、今の会社では、「今いる人で何とかしよう」が基本です。徐々に人は増えてきていますが、「この人がダメだから別の人と入れ替えよう」って考えは全くありえません。体調が悪い時は休むし、家庭の事情で休みます。仕事は大変でも、人を使い捨てるなんて発想が全くありえません。

インターネットが当たり前の時代、都心だけで人を集めるのはものすごいハンデだと思います。土地が高い上に、通勤地獄による無駄な時間、情報過密による思考の硬直化と、問題は山積みです。10kgの足かせをつけて、世界の強豪を相手にマラソンをするようなものです。勝てるはずがありません。

しかし、それでも東京都心にオフィスを構えたがる理由はただ一つです。いかに人を捨てられるかが最も大切だからです。

2015年10月25日日曜日

"あなた"は幸せですか?

日々ネットはつまんねーなと思いながら過ごしている毎日ですが、そのきっかけとなった事件があります。それは、「おおかみこどもの雨と雪」を見たときの、一部のネットでの反応に違和感を持ったことです。

それは、育児のために都会を離れて、田舎に引っ越したのですが、その田舎生活が好意的に描かれているのが許せないという反応です。確かに、いきなり田舎に行って農業を始めてうまくいくのはちょっと出来すぎかなぁと思いながら見てました。

でもこれはアニメです。フィクションです。多少現実離れしてても面白ければ別にいいんです。少なくとも、一部のネット民のような「許せない」という反応は当初全く理解できませんでした。なんでそこまで猛烈に批判するのだろうと。

おそらく、その人たちにとっては、田舎は経済的に困窮していなければならず、人間関係は都会より陰湿でなければならず、否定されるものでなければならない、だからこの表現が許されないのだと思います。

しかし、それだけでは終わらない違和感がありました。その違和感の元を探っていくと、一つの結論に至りました。その人たちは不幸だと。

自分は不本意にも(?)松山に来てから、他人と比較するのは止めました。最初は「どうせ一度死んだ身だから」と思ってましたが、徐々に健康になってきて、この映画が上映されたころには、もう東京に戻りたくないわーと思ってました。

でも、別に東京に住んでて満足している人には何とも思いません。その人には東京が合って、自分には合わなかったというだけです。自分はこのブログで、「東京嫌い」を全面に押し出していますが、それは何より、自分が幸せになったこと、そしてその理由を書くのが面白いからです。

しかし、「田舎が好意的に扱われるのが許せない」という人からは、負のオーラが大量に出ています。さらに言えば、ネット民のほとんどから、負のオーラが大量に出ています。何で自分と関係のないことにこんなに怒れるんだろう?と。

一方で、ネット民が見下している普通の人は、少なくともネット民よりは幸せです。この構図はあまりにもマヌケです。日々自分に関係ない、的外れの「情報」を得て、そのために不幸になっている、これほどバカげた話はありません。さらに、その不幸を周りに押し付けられると迷惑です。

他人に不幸を押し付ける前に自分に問うべきです。"わたし"は幸せですか?と。

2015年10月18日日曜日

「内部統制」こそが不正を増やす

何か問題を起こした企業に対して、「内部統制が足りない」と言われることがあります。しかし、これは全く逆で、自分は内部統制をすればするほど不正は増えると断言します。したがって、SOX法は世紀の悪法で、少なくとも日本では早急に廃止すべきです。

その理由は、1つは日本IBMでの苦い経験があるからです。日本IBMでは2004年頃から内部統制が厳しくなりましたが、内部統制を進めれば進めるほど窮屈な会社になり、生産性は落ちました。どれくらいうんざりしているのかというと、内部統制の象徴である、Integrityという単語が嫌いになったほどです。

生産性はともかく内部統制によって不正は減ったのかというと、むしろ増加しています。Wikipediaにもありますが、2007年頃から事件が増えています。さすがに当時の社長が盗撮で捕まるとかあまりにできすぎて苦笑いするほどですが、内部統制をすればするほど不正が増える分かりやすい例です。

もちろんこれは1社の例ですが、これが起きる理由を説明します。これが次の図です。


一番左が、内部統制を行う前の状態です。そして、この円は通常の業務として行われている範囲、別の言い方をすると裁量を表しています。この通常の業務の中で、何か不正が行われたとします。

このときに、内部統制では、この円自体を小さくすることで不正が起こらない対処を行います。この結果が中の図です。ここでも不正が起きると、さらに内部統制を進め、右側の図になります。これを進めると、正当な業務はただの1点に収束します。すなわち、裁量が全くなく、すべてが機械的に行われるのが内部統制の究極の姿です

当然ながら、これは非効率以外の何物でもありません。特に日本では、現場の優秀さが競争力の源であり、内部統制をすることは、現場の力を削ぐのと同義です。だから、内部統制をすればするほど、会社の競争力が落ちます

さらに、内部統制は、もう一つの問題を引き起こします。それは、間接部門の権力増大です。

内部統制は必然的に、チェックする側、すなわち間接部門の権力を増大させます。間接部門はその名の通り、直接顧客と関わったり、直接製品に関わりません。すなわち、現場を知りません。その代わりに、みんなが共通に持っている負担を減らすことで、間接的に現場を手助けする役割です。協力関係であり、上下関係ではありません。

しかし、内部統制によって、間接部門が上に立ってしまいました。別の言い方をすると、現場の本音と、間接部門の建前が食い違うときには、間接部門の言い分が「正しい」ということになってしまいました。通常は本音と建前を一致させる必要はありませんが、内部統制は本質的に、この違いを許しません。

このような状態に立たされた時に、現場が取りうる方法は二つしかありません。「本音を捨てて建前を取る」「本音を取って建前を捨てる」のどちらかです。前者を取れば生産性を落とす窮屈な会社となり、後者を選べば、それはすなわち「不正」です。後者を選んでも結果的に問題がなければ見逃されることもありますが、問題があれば不正として厳しく追及されます。

よって、内部統制は生産性の低下を引き起こし、必然的に、不正を増加させます。百害あって一利なしの、根本的に間違っている方法です。

では、どうやったら不正をなくせるのでしょうか。その答えは「ない」です。人という曖昧な存在が関わる以上、不正をなくすことはできないし、かといって人を排除すると競争力を失います。まずその答えは「ない」と認識することが大切です。なので、内部統制という考え方はそもそも間違っています。

その上で、不正を減らすことは可能です。例えば横領を減らすなら、横領に対する厳罰化か、あるいは逆に、お金の相談を受けやすくする手が思いつきます。もちろん業務自体を見直し、規制で対処するしかない場合もありますが、不正をなくすことを最優先にするのではなく、現場の効率化とうまくバランスを取ることが必要です。

これを一般には「マネジメント」と言います。一方で、内部統制は"Internal Control"という単語が使われています。すなわち、別の言い方をすると、「コントロールでなくマネジメントをさせろ」というのが自分の答えです。

2015年9月8日火曜日

トーキョーを支える「上場ゴール」

投資関連のスラングに「上場ゴール」という言葉があります。これは、上場して売却益を得ることを目的としているベンチャー企業を指しています。上場後の株価がピークで、株価はその後下がりっぱなしです。もちろん、そのような企業に投資した個人投資家は大損です。

自分の中では、この「上場ゴール」は、トーキョーを象徴する言葉だと思っています(「トーキョー」については3つの「東京」参照)。

1. 中身のない自称ITベンチャー

以前「地方の一出版社にネット企業が惨敗した件」でも書きましたが、日本の自称ITベンチャー企業は流行りものに飛びつくのだけは早いですが、中身がスカスカです。上場に必要なのは、数十年続くビジネスです。もしそれが100年続くビジネス、いつかは利益が出るビジネスなら、株価が下がってもいつかは持ち直します。

しかし、自称ITベンチャーは数十年どころか、数年経てば忘れられるようなことばかりやっています。そんな企業が上場しようなんて思い上がりもいいところです。

2. 見る目のない「金持ち」と「メディア」

さらに情けないことに、「金持ち」が全く見る目がありません。ここでいう「金持ち」は、個人で一山当てたIT長者はもちろん、大企業でも大きなお金を動かせる地位の人を指しています。

この人たちが投資対象としている企業や人を見ると、ロクでもないものばかりです。「凄そう」とか「面白そう」とか「新しい」という理由だけで投資して、予想通りロクな結果をもたらしていません。

大企業の社長ならともかく、IT長者が見る目がない理由は明らかです。彼らは「まぐれ」で成功したからです。たまたまインターネットという未開の土地を見つけるのが早かった、動くのが早かった、それだけです。

昔の起業家ならまぐれで成功してもそれを本当の力にしていくだけの謙虚さを持っていますが、IT長者にはそのような頭はありません。まぐれの成功が本物だと勘違いしてるので、自分と同じような人たち、すなわち行動が早いだけで何も考えてない人たちに投資します。

もちろん、メディアも見る目がありません。こちらは今更言うまでもないので略。

3. 彼らをつなぐ「コネ社会」

IT産業はどこででも起業できるのにもかかわらず、なぜか他の産業より東京に集中しています。その理由は、IT産業が「コネ」でできている産業だからです。「コネ=悪」ではありませんが、中身がない自称ITベンチャーがそのために持ち上げられるのなら、それは「コネ」ではなく「癒着」です。

せいぜい一企業を上場させた程度の人がネットで偉そうな態度が取れるのが謎だったのですが、彼らが「コネ」を持ってるからだと考えると納得できます。自称ベンチャー企業にとって何よりも欲しいのが「金」と「知名度」であり、そのために必要なのは、金を持ってる人やメディアとのコネです。

メディアとしても、地方で1人インタビューする暇があったら、東京で10人インタビューして載せたほうが「お手軽」なため、必然的にコネを持っている一部の人に露出が集中します。その意味では、全国に拠点を持っているマスメディアの方がまだマシです。

癒着といえば世間一般には「政・官・財」ですが、現代の癒着の代表は、「IT・金融・メディア」の3つです。

他と違うのは「ただレベルが低いだけ」

ただ、この構造自体が問題ではありません。金がないベンチャー企業を先に成功した人が支え、メディアが世の中に広めるという構図はごく普通です。ただ違うのは、彼らはものすごくレベルが低いというだけです。

もちろんレベルが低い人たちが集まっても、いつかは破綻します。だから、常に金をどこかで集め続ける必要があります。そのための手段が「上場ゴール」です。逆に言えば、こういう詐欺同然の手段を取らないといけないほど、トーキョー人は稼ぐ力がないことの表れです。

勘違いしてはいけないのは、これは決して「日本の縮図」ではありません。メディアにチヤホヤされ、IT長者にお墨付きされるような一部の自称ベンチャーが異常なだけで、ほとんど注目されない、地味な企業こそが世の中を支えていくと思います。

2015年7月14日火曜日

人に優しいプログラマー

自分は摂取する情報を限りなく制限する生活をしているのですが、唯一の例外が訃報です。そのため、この悲しい情報もすぐ知りました。任天堂の岩田社長が亡くなりました。

1年前に株主総会を欠席した時に、胆管腫瘍という病気についても調べて、統計的には予後がよくないという話も目にしていました。ただ、それから復帰した時の岩田社長は、痩せたというよりは、老けたなぁという印象でした。今でもどうしても忘れられない、iCloud発表時のSteve Jobsと比べたらまだまだ見た目も丈夫そうに見えたんですね。それが突然の訃報。今はただ、ご冥福をお祈りするばかりです。

岩田社長と言えば、プログラマーとしても、経営者としても逸話に事欠かない人物ですが、個人的に一番好きなエピソードは、MOTHER2の話です。


MOTHER2のエピソードでは、「これを、いまある形のままで、直していくなら、2年かかります。でも、イチからつくっていいなら1年以内にやります。どちらにしますか?」という言葉が有名です。ですが、自分がこの言葉よりもすごいと思うのは次の行動です。
で、そのときに岩田さんが
なにからはじめたかというと、
まず、道具をつくりはじめたんですよね。
つまり、目の前に大きな問題がごろごろあって、
すごくたいへんだぞ、というときに、
直接は、それに取りかからなかった。
だから、離れたところから見ると、
ぜんぜん手をつけてないように見えたんです。
ところが、それは、問題を片づけていくための
道具をつくっていたんだよね。
自分はプログラマーをやっていますが、ずっと、プログラマーである自分に疑問を持っていました。「自分を活かせる仕事=プログラミング」なのは間違いないですが、どこかハマれない自分がいました。すごいプログラマーの話もいろいろ知りましたが、自分がなりたいと思える人は片手で数えるほどで、自分勝手で、絶対なりたくないタイプの人ばかりでした。

だから、いろんなOSSプロジェクトに浮気したり、自分で何か書いてみても止めちゃったり、逆に今は食っていければいいやと割り切ってリアルを充実させたりしてました(それはそれで良かったのですが)。

しかし、このMOTHER2のエピソードを見て、目から鱗が落ちました。道具を作ることで、その人の生産性を上げること、もっと柔らかい言い方をすると、普通の人をすごい人に変えることができます。いくらすごいプログラマーでも1人では限度がありますが、他の人をすごい人に変えることで、1人ではできない大きいことが可能になります。

そもそも、自分がコンピュータにハマるきっかけは、NeXTのInterface Builder(Xcodeの原型)を知ったことでした。複雑なコードを書かなくても簡単にアプリケーションが作れる環境が魅力的でした。その後知ったPerlやRubyも、どちらも普通の人に優しい言語でした。

しかし、スキルが上がるにつれて、いつの間にかその原点を忘れていました。その原点を思い出させてくれたのが、このエピソードです。だから自分は、すごいプログラマとしての話よりも、人に優しいプログラマーとしての、この話が一番好きです。

笑顔が似合う、人を笑顔にする、そのような人に、自分もなりたい。

2015年6月15日月曜日

日本のネットを荒廃させた「主犯」は誰か

自分は何度も「今のインターネットには幻滅している」と書いています。もちろんその事実は揺るがないのですが、少なくとも自分がネットを始めた1995年頃はそうではありませんでした。2000年前半の頃は問題はあれど、まだ無法地帯ではありませんでした。

こういう話をするとおそらくみんなが想像するのが「2ちゃんねる」(以下2ch)です。しかし、2chが主犯ではありません。なぜなら、2chは最初から「痰壷」として生まれたものだからです。誰もが汚い、醜い一面を持っています。それを消すことはできません。だから、汚いものは、汚いと認識されている場所に隠します。

逆に言えば、汚いと認識されている場所にあるものは、汚いものだと分かります。だから、結果的に本当な場合もありますが(日本IBMのブラックぶりなど)、2chにある情報をそのまま本気にする人はいません。

もちろん、隠したから何でも許されるものではありません。犯罪予告をすれば逮捕されます。「汚い場所を作っていいのか」という論点もありますが、これも一概には言えません。ただ、汚いものが汚い場所にある状態は、少なくとも無法地帯ではありません。しかし、この15年ほどで、日本のネットは真の無法地帯になってしまいました。

15年前のネットと今のネットの大きな違いは以下の2つです。
  1. 汚い場所とそうでない場所の区別がつかなくなった
  2. 汚いものとそうでないものの区別がつかなくなった
2つに分けましたが、この2つは密接に関係しています。なぜなら、汚いものが汚い場所にあることで、汚いものの区別が可能だからです。

その意味で、コピペブログ(まとめブログ)は、汚いものを汚い場所から引き離し、汚くないように見せようとした悪質なものです。だからもちろん、日本のネットを荒廃させた大きな要因の一つです。しかし、これも「主犯」ではありません。なぜなら、これより前に同じことをした奴がいるからです。それこそが「主犯」です。

汚いものは汚い場所というのは、「情報」に限った話ではありません。Warezもそうです。ネット黎明期のころは、「Warez=近寄ってはいけないもの」という認識があり、そういうものがあることは知ってても、誰も近寄りませんでした。そもそも詳しい情報なんて載せるはずもなく、もしかすると近寄ってた人がいたかもしれませんが、当然ながらそんなことは話すはずがありません。

繰り返しますが、「近寄ってはいけないもの」だからWarezを擁護するわけではありません。ただ、相手がハエ程度の存在なら、ハエたたきを持って来れば十分です。相手がハエではなく、熊だからこそ、ライフルを持ってきます。

しかし、日本だとWinnyが出てきてから、「近寄ってはいけないもの」という認識がなくなってしまいました。しかし、Winny、もしくはその開発者の金子勇さんが主犯ではありません。なぜなら、個人的にはWinnyが価値中立とは到底思えませんが、それでも、有罪というには抵抗感があります。

一方でアメリカでは、WinMXやNapster(初代)が生まれ、かつ早々に潰され、ネット民からは「悪法」と言われるデジタルミレニアム著作権法(DMCA)も早々に成立しているにも関わらず、iTunesを始めとした合法サービスが早々に普及しています。しかし、この点で日本は大きく出遅れていました。しかし、先に挙げたように、ネット民の言う「悪法」が原因なら、アメリカは日本よりも遅れているはずです。

日本とアメリカの大きな違いはただ1つです。それは「Warezが一般人まで普及したかどうか」です。すなわち、Warezを一般化させた張本人が主犯です。そして、その悪影響はWarezだけにとどまらず、コピペブログなどにも及んでいます。その日本のネットを荒廃させた主犯はこいつです。

"金髪割れ厨" 津田大介

自分は金子勇氏を不当逮捕というつもりはありませんが、少なくともこれは言えます。金子氏でなくこいつを逮捕しておくべきだった。金子氏とは違い、明らかに違法性を認識してるので、立件も容易だったはずです。しかも、こいつは罪の認識すらありません。自分からすると津田大介は100%の、混じりっけのない「人でなし」です。

こいつを擁護する人たちも同罪です。こいつの仲間と思われることがどれだけ大きなリスクなのかを理解していません。言ってることがまともだから敵のように扱うなと言ったバカには本当に呆れます。

もうネットに「自浄作用」が生まれる余地はありません。となると残る選択肢は2つです。無法地帯か、徹底的な規制か。どちらがマシかと言われると後者です。もう徹底的に規制されればいいです。自分もこんな憎しみに溢れた記事を書かなくて済むので。

2015年6月11日木曜日

Splatoonは語りたくなるゲーム

先日発売されたWii UソフトのSplatoon(スプラトゥーン)、他のゲーマー同様買って楽しんでます。ここまで遊んでいる人の熱気が伝わってくるゲームはなかなかありません( ・ิω・ิ)

もちろんこのゲームについて語ることもできますが、既に多くの人によって面白さは語られているので、自分は一歩引いて、このゲームをみんなが語りたくなる理由について書いてみようと思います。

面白いのは当然だが、面白いだけじゃ足りない

Splatoonが面白いのは言うまでもありませんが、面白いだけでは語るには足りません。例えば、マリオカート8は面白いですが、マリオカートの面白さは多くの人が知っています。語りたくなるためには、「自分が面白い」と思うと同時に、「あまり知られてないこと」が重要です。なので、まず1番目にこれが来ます。

1. 「完全新作」であること

自分は「新規IP」という単語に違和感を持つ理由」に書いたように、ガワだけ変えてシステムがほとんど変わらないゲームよりも、キャラが同じでもシステムが変わっているゲームの方を好みますが、Splatoonは、システムが新しいだけではなく、ピクミン以来14年ぶりのキャラクター(社長が訊くより)です。もちろん、イカにした意味はただ見栄えのためではありません。

このSplatoonは完全新作ですが、突然注目された作品ではありません。初登場の2014年のE3では、斬新なシステムで話題をかっさらっていきました。その時を知ってる自分からすると、「やっと出た!」という感じです。それで面白いなら伝えたくなるのが当然です( ・ิω・ิ)

2. 馴染みがないTPSというジャンルであること

Splatoonは公式には「アクションシューティング」というジャンルで、一般的には「サードパーソン・シューティングゲーム」、略してTPSというジャンルです。海外ではFPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)と合わせてメジャーなジャンルですが、日本だと非常にマイナーなジャンルで、自分も含め、興味があるけど敬遠する人が多いです。

TPS/FPSが敬遠されるのは、「なじみのない洋ゲー」「流血などの残虐シーン」「ボイスチャットによる暴言」などの怖いイメージが先行しているためですが、Splatoonには任天堂開発、流れるのは血ではなくインク、コミュニケーションは「ナイス」「カモン」の2つだけです。

自分はネット対戦恐怖症で、TPS/FPSはおろか、マリオカートでもネット対戦をしたことがないのですが、そんな自分でもSplatoonは、最初見たときから「やってみたい」と思わせて、実際楽しめるネット対戦ゲームでした。さすがにマリオカートができないのは怖がりすぎだと思いますが。

苦手なものが楽しめるようになると、人に伝えたくなるのは自然なことです。DQ10を始める前も「ネトゲ=怖いもの」というイメージがあったので、ネトゲ恐怖症の自分でも遊べるDQ10の記事を書いています( ・ิω・ิ)

3. すべてのプレイがプラスであること

Splatoonの一番の特徴が、「インクを塗ってその面積を競う」というルールです。これによって、ほぼすべての行為がプラスになります。最前線で撃ち合いもよし、撃ち合いが苦手なら逃げ回りつつ塗るもよし、不利そうなら裏をかいて相手の陣地を塗るもよし。

そして、終わって結果が出るまで、勝ったかどうか分からないこともたくさんあります。戦況はWii U GamePadに出ているのですが、乱戦になっているときは特に、見る暇がなくて気がついたら陣地を大きく塗られていることも。操作はシンプルでハードルが低いですが、その分状況判断が求められるため、単調なゲームではありません。

先日対戦した例だと、両チームほぼ自分の陣地を塗っていて、中央はこっちが有利だったので勝っただろうと思ったら、塗り残しの差で負けてしまいましたorz、別の対戦では、30秒残したところで中央で乱戦になってたところをバリアで支援して撃ち合いに勝って最後は相手の陣地にインクをぶちまけて快勝ヽ(´ー`)ノ

勝ったら勝ったで、負けたら負けたでその内容を語りたくなるゲームです。もちろん負けると悔しいけどね(´・ω・`)

4. Miiverseをイカしている

Wii Uを発売日に買ってから期待してたMiiverseですが、ずっとしっくりこない状態が続いていました。ネットに幻滅している自分からすると、Miiverseの平和さはホッとするところもあるのですが、それだけだと何か足りません。他のゲームではMiiverseの書き込みがふきだしで表示されたりしますが、あくまでも「おまけ」です。

しかし、Splatoonが他と違ったのは、Miiverseがゲームに統合されていることでした。ゲームを起動して広場に行くと、他の人の書き込みが見れ、すぐに「そうだね」がつけられます。見ているだけでも楽しいし、書き込んでも楽しい。これも他のゲームにはない楽しさです。

今週末に開催される「フェス」もその一つです。日本では「朝食はご飯かパンか」というお題で、USの「猫vs犬」やUKの「ロックvsポップ」に比べて地味かと思ったんですが、投票受付が始まると大盛り上がり。日本人の食べ物へのこだわりを甘く見てました(ノ∀`)

5. 最後はやっぱり「イカ」

このゲームはいろんな場所に「イカ」を使ったダジャレが出てきます。こういうダジャレは通常は「寒いオヤジギャグ」なのですが、このゲームではゲームの内容とも相まって、むしろイイ雰囲気を出しています。この雰囲気に慣れると、自然にダジャレが出てしまいます。別にウケを狙っているわけではなく、楽しいんですよね。

Miiverseでの反応が良いことで、ネタに走る人も多くいます。いわゆる「イカ大喜利」もその表れです。みんな絵がうますぎるやろ(´Д` )

日本では特に、「侵略!イカ娘」のアニメが放映されていたのもあって、イカダジャレが許される雰囲気ができていました。Splatoonのイカは出自も見た目もイカ娘とは似ていませんが(タグも「イカガール」なのでイカ娘とスミ分けている)、せっかくなので公式でイカ娘と何かやらないかなぁ…と思ってたら、コラボするらしいです( ・ิω・ิ)

というわけで、みんなもSplatoonやらなイカ?

2015年5月3日日曜日

IBMはもうダメかもしれない

すっかり情報に疎くなったので全然知らなかったのですが、IBMが12四半期連続減収だそうです。実はこれびっくりすることでした。なぜなら、自分のブログで一番アクセスがある記事、顧客も社員も大切にしなかった企業の末路で批判していたのはあくまで「日本IBM」で、「IBMは違う」とずっと思っていたからです。

しかしどうやら、「日本IBMがとてつもなく酷すぎるだけで、IBMもとても酷い」が実情のようです。なぜ気づかなかったのかというと、日本にいるとアメリカなど外国の社員と話すこともないのと、社内Webなどで見える状況が、日本とは別物だったからです。

日本IBMを辞めてもニュースなどでIBMを知る機会はあり、どうも最近「実はIBMもダメなんじゃないの」という感じはあったのですが、たまたま今日書店で「倒れゆく巨象」という本を見つけました。ざっと立ち読みしたのですが、どうやら日本IBMだけの問題じゃないようです。

1990年代の経営危機のときに真っ先に立ち直ったのが日本IBMでもあり、「日本IBMが特別悪い」というよりは、「日本IBMはIBMの先を行っている」と考えた方がよかったかもしれません。まあさすがに元社長が盗撮で書類送検みたいなことはないと思いますが( ・ิω・ิ)

ただ、ざっとなので勘違いがあるかもしれませんが、二つほど、これだけは違和感があったところを書きます。

一つ目は、「誰が悪いのか」という点です。自分は、「2年も経ったら前経営陣のことは忘れるべき」だと思っています。それまでに役員をしていたかどうかという問題もありますが、経営者が変わった途端に問題が起きても、その経営責任は前経営陣に向けられるべきです。そして、少しずつ新経営陣のカラーに染まっていって、それが終わるのがだいたい2年後だと思っています。

なので、前CEOのパルミサーノ氏を批判するならまだしも、ガースナー氏を批判してもしょうがありません。後継者指名問題を言われてもはっきり言って「知らんがな(´・ω・`)」というレベルです。後付けにすぎません。

もう一つ、こちらが重要なのですが、「IBMは立て直せるか」という点です。自分が記事に書いた通り、「人や生産性に投資する」というのは最低限必要です。ただ、それだけでは解決できない大きな問題を抱えています。

問題はIBMの"ビジョン"である、Smarter Planetにあります。これを知ったときに、直感的に「ヤバい」と思いました。なぜなら、これは「みんなの意見」であって、「IBMの意見」ではなく、やってることも「たくさんのデータを適当にこね回したらちょっと改善した」ということを延々と語っているだけです。

これは「0から1」でもなく、「1から100」ですらありません。せいぜい「1が1.1」くらいの改善です。相手が物理法則であるエンジンですら、30%の効率アップを目標に掲げている人たちがいます。ビジネスでは、10%程度の改善ではほとんど意味がなく、他社が追いつけないほど、何倍も変わるような「発想の転換」が求められます。その人たちにとってIBMは全く役に立ちません。

分野によっては10%の改善でも大きな成果となることもあります。しかしその次に問題になるのは、「それはIBMにしかできないことか」です。自分が日本IBMに入社した13年前なら"Yes"です。一つ一つは珍しいものではなくても、メインフレームからPC、CPU開発、OSやミドルウェア、サービスまで揃っていた企業はほとんどなく、その中でもIBMは際立った存在だったと思います(たぶん)。

しかし今では、いわゆるクラウドならGoogle、Amazon、Microsoft、その他ベンチャー企業などがあり、IBMは「大企業のプライベートクラウド」という狭い領域以外では存在感がありません。その分野でも以前からの競合相手のHPだけでなく、最近はOracleとも競合しています。

日本市場をとっても、IBMは昔からSMB(中小企業)向けが弱いと言われてましたが、昔ならともかく、悪い意味で外資化した今の日本IBMよりは、NECや富士通といった国内企業の方が頼りになります。

メインフレームは当時も今でも際立った存在ではありますが、もはや会社を引っ張るほど大きな存在にはなり得ません。すなわち、今のIBMは「何の会社かわからない」状態です。

「社内がボロボロ」「何の会社かわからない」「先のないビジョン」、いつの間にか、IBMはそのような会社になってしまいました。そして、現経営陣は経営不振に対して、さらなる改革を推し進めようとしています。これは、既に逆走している状況に対して、逆走したまま加速するようなものです。あるいは、このままだと崖から落ちそうな状況で、さらに加速するようなものです。

なので、自分は「こりゃあかん」としか言いようがないです。

2015年4月14日火曜日

山手線新駅は「金の無駄遣い」

結構前の話ですが、山手線に新駅ができるようです。この話を聞いたときに、自分が思ったのは、「"また"、金の無駄遣いか」です。国の金の無駄遣いには敏感な人々も、民間の金の無駄遣いには鈍感です。

理由は、他の人が考えていることと同じです。「新駅が遅れた分遅れる」と。正しくない計算ですが、1日100万人が1分ずつ遅れるとして、時給2000円として、1年で122億円の損失です。「それ以上に経済効果がある」という人もいるでしょう。しかし、"数字"は増えても、人々を豊かにする要素はどこにもありません。

こんな無駄金を使うくらいなら、もっと良い使い方はいくらでもあります。

例えば、1年ほど前に、ネットのベビーシッター仲介サイトを使って預けてた子供が殺された、痛ましい事件がありました。この事件を知ったときに、自分はものすごく違和感がありました。なぜなら、生活費を稼ぐために子供を預けるというのが "ありえない" からです。

どうしても仕事を続けたい人までは否定しませんが(そういう人は金も稼いでいるだろうから、高いお金を払えばよい)、シングルマザーで子育てをしている人には、子育てという "仕事" にお金を払えばいいでしょう。それができないのなら、社会の方が間違いなくおかしいです。

民間の金の無駄遣いを放置するくらいなら、税金でその金を他の人に配った方がまだいいです。自分はフランスという国ほど胡散臭い国はないと思っていますが、「日本とフランス 二つの民主主義」に書かれているような、「高福祉」「不自由」「高負担」は、一つの形であると思っています。(ただし、行政が直接支出するのには否定的ですが)

他にも、例えば在宅勤務を推進するだけでも、通勤ラッシュは緩和され、社会全体の豊かさは向上します。Googleですら都心にあるというのは異常です。地方に分散とまでは言いませんが、都心で仕事をしないだけでも、だいぶマシになります。日本IBMも、大和事業所にいたころは、窮屈さを感じませんでした。

「東京にシリコンバレー」と言ってる人もいますが、あまりにバカすぎて呆れます。シリコンバレーは田舎にあるのんびりさこそが重要であり、刺すか刺されるか、そんな雰囲気の東京とは正反対です。

以前「地方の一出版社にネット企業が惨敗した件」で書いた通り、トーキョー人やネット企業、自称ベンチャー企業は、"数字"を増やすことは得意ですが、何が本当に望まれているものか、何が人々を豊かにすることには全く脳を使っていません。だから、"また"、金の無駄遣いを続けます。

2015年2月22日日曜日

「30年後に残っていない職業」とは何か

つい先日、ほぼ日の「アウェイの場所に行ってみる?」という連載を読みました。この連載は全体的には面白いのですが、以下の表現が引っかかりました。
30年後に、いまある職業が
どれだけ残ってるかというと、
大半が疑わしいらしいです。
たしかに、そういう流れを感じます。
昔なかった職業も、今いっぱいある。
だから、あたらしい視点というのは
いつの時代も、とても大事なんだと思います。
「昔なかった職業も、今いっぱいある」のは間違いありません。プログラマーも30年前はようやく職業として認知されてきた頃です。そして、今後30年後も同様に、新しい職業が生まれ、それが主流を占める可能性は十分にあります。

自分はここ数十年で変わった最も大きい変化の一つが、「親の後を継ぐという考え方」が珍しいものとなったことだと思います。結果的に跡を継ぐことになる人も多いですが、それは自分の意志で「跡を継ぎたい」と思ったからで、狂言師・野村萬斎さんのような生まれたときから跡を継ぐことを定められている人はごくごく少数です。

しかし、「 ××年になくなる職業」というのはよく言われますが、自分はこれを嘘っぱちだと確信しています。「新しい職業が生まれる」のと、「これまでの職業がなくなる」というのは似てるようで全く異なります

自分が好きな番組に、先ほどリンクした「プロフェッショナル 仕事の流儀」があります。この番組の面白いところは、実に多様な職業の人が出てくることです。そしてその中には、まさにその「なくなる」と言われた職業もあります。最近だとかけつぎ職人・松本孝夫さんがそうです。

かけつぎ職人はもうほとんどいませんが、少なくとも「なくなっていない」のは事実です。そして、「この人たち」の仕事がなくなるとも思えません。逆に、「ただなんとなく」で仕事をしていたのなら、生き残れなかったのは間違いありません。

たぶん30年後も同じです。新しい産業が生まれ、新しい職業が生まれ、主流がそちらに移っていきますが、なくなる職業はほとんどありません。まだ仕事をしていない若い人はともかく、30代、40代の人は、そんなことを気にするよりも、「自分が」コンピュータや他の人に替えられない仕事をしているかを気にした方がいいです。

しかしただ一つだけ、全く価値をもたらしていなく、30年後に残っていないだろうという職業があります。それはこれです。

評論家

「30年後になくなる職業」のような言説で明らかなのは、この人たちが「何もわかってない」ということです。そしてその理由は、この人たちが「仕事というものを軽く見ている」からです。

もちろん、機械化によって厳しくなる職業もあります。機械化はされなくても、新興国によって厳しい状況に追い込まれる産業もあります。もちろん、「ただなんとなく」で仕事をしているなら、産業が安泰でも「その人」の立場は危うくなる可能性があります。

例えばマイルドヤンキー限界論がそうです。「もしかするとマイルドヤンキー論の流行は、いよいよマイルドヤンキー的なライフスタイルが限界に近づいていることの現れなのかもしれない。」と書いていますが、自分からするとこう言いたくなります。

おめーらこそが限界なのに気づけ!

評論家が存在できるのは、その知識を生かして、人々の役に立っているからです。しかし、世の中の評論家のほとんどは、人々の役に立たず、全く見当違いの言説を繰り返し、人々を「先導」ではなく「扇動」するだけです。存在意義は皆無です。そしてそれ以上に論外なのは、「自分たちだけは安泰だ」と思い込んでいるところです。

そのような人たちが生き残っている理由はただ一つ、「コネ」です。ネットで「新しいメディア」が出ると、いつも同じようなメンバーばかり揃っています。それは、ネットメディアが非常に狭いコミュニティだからです。すなわち「タコツボ化」しているからです。つまらなくて当然です。