2014年6月24日火曜日

クオータ制度に反対する理由

この問題は「私刑を望むネット民に呆れる」以外は特に言うことはなく、finalventさんの記事は基本的に同感なのですが、この記事にだけは違うと言いたいです。
自分はこの「クオータ制」には強く反対します。控えめに言っても、慎重にやらないと、効果が無いどころか逆効果だと思います。なぜこう思うのか以下に書きますが、それは、日本IBMでの酷い経験と、良い経験が元になっています。

以下で「男性的」「女性的」という表現を使いますが、「男性に多いと思われている資質を持つ」「女性に多いと思われている資質を持つ」くらいの感じで捉えてください。自分としては多少は性差はあるにしろ、それ以上に個人差が大きいと思っています。

まず酷い経験の方です。自分は日本IBMの大和ソフトウェア開発研究所(YSL)に配属になりましたが、当時の所長が内永ゆか子という女性でした。はっきり言うと、自分は今でもこの内永のことを思い出すと、ものすごく嫌な気分になります。なぜなら、自分はずっと疎外され続けたからです。

自分はYSLの中で、IBMの4ブランド(WebSphre, DB2, Lotus, Tivoli, 当時はRationalはなかった)ではない部署に配属されました。どうやって配属を決めたのか今でも謎ですが、特に今さら言うほどではありません。問題は、自分の部署の存在意義がずっと分からなかったことです。

内永が全体ミーティングで言うのは決まってIBMの4ブランドのことばかりで、自分の部署の存在はとってつけたような言い方しかされたことがありません。同期ともよく話していました。「自分たちの部署って何なんだろう」と。内永は「部下を好きになってください」という本を書いているようですが、自分はまずその前に部下の存在を認めてくださいと言いたい。

そんな内永は2004年にYSLの所長から、その上の開発製造部門の所長になりました。つまり出世です。自分は全く信じられませんでした。個人的な印象が最悪なのはもちろんですが、YSLの所長として何も実績を上げてるようには見えませんでした。むしろ、組織としてはボロボロになっていました。となると考えることは一つです。「女性だから出世できたのだろう」と。これが酷い経験です。

一方で、良い経験もあります。日本IBMには優秀な女性がたくさんいたことです。同僚として、あるいは上司としていろんな人と仕事をしましたが、どの人も優秀でした。浅川智恵子さんの話も一度聞きましたが、素晴らしい人だと感じました。そして浅川さんがフェローになったと聞いたときはとても嬉しかったです。

このように、自分には仕事をする女性について、酷い経験と良い経験がありました。一緒に仕事をする女性は優秀な人が多いにもかかわらず、上に立つ女性にはいい印象が全くというほどありません。正直、女性が上に立つことには偏見を持っています。「男性的な価値観」を持つリーダーになってしまうのなら、女性はリーダーになって欲しくないと。

なので、女性はリーダーでなく、研究者や管理者としてのキャリアを目指した方がよいと考えていました。しかし、つい先日一つの疑問が出て来ました。そもそも皆が求めるリーダー像が間違ってるのではないかと。リーダーが「男性的」であるべきだと思われてるのがそもそもおかしいと。これは日本に限った話ではないと思います。何故女性のリーダーは少ないのかで挙げられているアドバイスも、ガツガツした「男性的なリーダー像」を基にしています。

この記事では「男性的なリーダー像」を悪いもののように書いていますが、全く悪いことだとは思っていません。決断力や積極性が必要とされる場面もあります。しかし、「女性リーダー」の多くはがさつや暴力的など、「悪い意味で男性的」な点ばかり目立ちます。そして、直感で言えば、「女性的なリーダー像」が成立しないはずがありません。少なくとも、片方に偏るのはおかしいと確信しています。

自分が「クオータ制」で懸念しているのは、この点です。女性を増やしても、「男性的な価値観の女性」ばかりでは、多様性にはプラスにならず、むしろ逆効果だと思います。塩村議員については全く知らないので分かりませんが、世の中の女性議員の多くには「男性的な価値観」を強く感じます。そのような人が「女性的」な女性を候補者に選べるのか疑問です。

「クオータ制」を採用するなら、性別だけではない、本当の多様性が確保されることが必須です。そしてその多様性は女性だけのものではありません。男性が持っていても構いません。「優しさ」が男性には不要だというのなら、そのような社会は間違っています。

しかし、「女性的」であることは、今の世の中では不利です。自己主張出来ない人は会社では不利に追いやられます。自己責任だと言われます。酷い場合は、存在すら認知されません。日本IBMは目に見える形での多様性は重視していましたが、価値観の多様性には無頓着でした。ネットも「とにかく早く」ばかり求め、それ以外の価値観の多様性には無頓着です。

自分たちは本当に多様性を大事にしてきたか、知らないうちに踏みつけて潰してきたものはないか、ネット民を含む「進歩的」な人たちは一度振り返るべきではないかと思います。