2014年4月16日水曜日

3つの「東京」

自分はTwitterなどで「東京嫌い」を公言していますが、その「東京」とは何かを書いておかないと誤解されそうなので、一度記事にしておきます。ちなみに、首都圏には6年近く、区部には数ヶ月だけ住んでいました。

自分の中には、「東京」は大ざっぱに3つに分かれています。その中の1つは好きで、もう1つは好きとも言えませんが、少なくとも評価はしています。ただ、残りの1つが大嫌いなため、「東京嫌い」を公言しています。

嫌いでない「東京」の一つ目は、日本の首都としての東京です。イメージとしては坂の上の雲で描かれているような、明治時代のエリートです。これは好きなところとそうでないところがありますが、少なくとも評価はしています。

嫌いでない「東京」の二つ目は逆に、地元にずっと住んでいるような人です。イメージとしては、こち亀の両津勘吉です。特に下町の土地や文化、例えば浅草やもんじゃ焼きなどは好きです。数ヶ月だけ住んでいたところも下町で、良いところでした。自分の中ではこれらをまとめて「江戸」と呼んでいます。

そして、自分が嫌いな「東京」は、在京マスコミやネットベンチャーに代表されるものです。これらには「東京至上主義」「押しつけ」「傲慢」「見た目だけ立派で中身がない」「閉鎖的」「自分に甘く他人に厳しい」のようなマイナスイメージを持っています。このような人たちの多くは、とにかく「東京」を強調します。中身がないからこそ、「東京」というブランドを強調します。横文字が好きな人たちなので、「トーキョー」と以下では書きます。

このように「首都」「江戸」「トーキョー」と、東京のなかには3つの価値観があると見てます。「首都」は地方分権が進んでない現在では東京にしかほとんどありませんが、必要なものです。「江戸」に対しては、各地方の文化があります。しかし「トーキョー」は不要であり、かつ東京にしかまず存在しません。

このような「トーキョー人」は東京では通用するかもしれませんが、他の地域ではただの厄介者です。「よそ者」を警戒するのはどの地域でも変わりません。しかし、その「よそ者」が「本物」なら信用し、受け入れます。「トーキョー人」が嫌われるのは、「よそ者」ではなく「偽物」だからです。

もちろんこの見方はあまりに乱暴です。 テレビや新聞にも良いものはあり、下町文化に限らず、オタク文化のような良いものが生まれることもあり、その土壌として東京は人が多いという有利な点があるのは確かです。ただ、その有利さは相対的なものであり、絶対的なものではありません。ただ、自分はこの3つを意識しています。

自分はここ数年、「ネットはつまらない」と感じるようになったのを何度か書きましたが、それを別の言い方にすると、「ネットがトーキョー化したから」です。中身がない記事でもアクセスが稼げれば良い、騙しやパクリが当たり前という今のネットは自分の嫌いな東京のイメージと被ります。

そして、「トーキョー」は簡単に「グローバル」に乗っ取られてしまいます。「グローバル」にもトーキョーと共通する問題があります。Googleほど邪悪な企業はほとんどありません。しかし、少なくともトーキョーよりは良いものです。だから人々に選ばれます。

もちろん、日本の中にも「グローバル」を持った人たちがいます。中には「日本」を大事にする人もいれば、地域を大事にする人もいます。それぞれに長所があり、グローバルと対抗出来る力があります。しかし、「トーキョー」には何の力もありません。ただの抵抗勢力です。

この記事を見て東京人は腹が立つかもしれませんが、少なくとも自分の中ではこのように感じています。そして、その腹が立つという感情は、他の地域の人がいつも感じていることと同じです。東京は決して「特別」ではありません。