2014年5月14日水曜日

「マイルドヤンキー論」から見えるもの

最初に書いておきますが、自分はこの話を心底「くだらない」と思っています。もちろんこの言葉の元になった本は読まずとも駄本だと分かるので読む気は全くありません。このような本を読むのは時間とお金の無駄です。ただ、この問題に対して自分の頭のスペースを消費するのがもったいないので、書いておきます。

まず「マイルドヤンキー」には以下のような特徴があるようです。EXILEのように関係ないだろうというのは外しています。
  • 「絆」「仲間」「家族」という言葉が好き
  • 半径5kmの地元から出たくない
  • 車、特にミニバンが好き
  • ショッピングモールが好き
  • 上昇志向がない
  • ネットへの関心が低い
自分がこの言葉を聞いたときに思ったのは「ただの普通の人だな」と思いました。そして、自分も「半分」この特徴に当てはまります。次のように。
  • 家族を大切にする
  • 普段は半径5kmの地元で生活する
  • 地元のショッピングモールか百貨店でほぼ十分
  • 生活を良くすることに関心があるが、上昇志向はさほどない
  • ネットを使っているが、ネットを信用しない
明らかに違うのは、免許を持って無く、車に関心がないことくらいです。そしてもちろん、自分は「ヤンキー」とは遠くかけ離れた人です。

ではこの定義から何が見えるのか。それはこの条件を裏返しにしてみれば分かります。(ショッピングモールの反対が何かには悩みますが)
  • 個人主義
  • 視野がグローバル
  • 電車が10分に1本来るところが好き
  • オシャレな店や海外旅行が好き
  • 上昇志向が高い
  • ネットへの関心が高い
この特徴を満たすのは、在京マスコミやネットベンチャーやネット民のような「トーキョー人」です(3つの「東京」)。つまり、マイルドヤンキーという言葉は、トーキョー人が自分たちに従わない、普通の人たちを貶めるために作られた言葉です。

問題はここからです。なぜこのような言葉が出て来たのか。それは、この「マイルドヤンキー論」を持ち出す人の言葉に表れています。「マイルドヤンキー 幸せ」で検索すると、「もしかして幸せ」「そこそこ幸せ」「ささやかな幸せ」「案外幸せ」のような、素直に幸せを認められない言葉が並びます。これはつまり、トーキョー人は「マイルドヤンキー」の幸せが本物ではないと思っていることの表れです。

では、トーキョー人が考える「本物の幸せ」とは何でしょうか。「有名人」や「成功者」や「金持ち」を見てもそれが全く見えてきません。ネットを見てもテレビを見ても、この人たちの多くはいつも不満たらたらです。「幸せ者」はほとんど見かけません。そして少数の幸せ者は「ささやかな幸せ」を大事にする人たちです。

つまり、トーキョー人には全くロールモデルがありません。正確には、成功するためのロールモデルはあっても、幸せになるためのロールモデルがありません。もっと正確に言えば、幸せになるためのロールモデルはあっても、それを受け入れられていません。

自分が考えるに、そのロールモデルは3つあると思います。一つは、「ささやなかな幸せ」を認めること。成功したいからと言って、「ささやかな幸せ」を否定する必要性はありません。むしろ、成功者ほど、早いうちに「ささやかな幸せ」を手に入れているのではないかと数年前に気づきました。

二つ目は、篤志家になること。アメリカでは、成功した人は慈善事業に携わる人が多いです。ビル・ゲイツも、今では篤志家として有名です。見返りを求めますが、リスクの高い投資をするエンジェル投資家もいます。ただお金を渡すのではなく、社会をよくしていくために積極的に関わる、「経営」することは、事業を成功させること以上にやりがいがあることだと思います。

日本でもたくさんの資産がある人は寄付をしていますが、慈善事業を「経営」する人はほとんど見かけません(スワンベーカリーくらい)。自分も含めて、普通の人はそれ以上に慈善活動に携わっている人は少ないです。もっとも、これは時間にしろ、金銭的にしろ、ある程度自分に余裕がある人でないと出来ません。

そして三つ目。それは「不幸」であることを受け入れることです。世の中には知らない方が幸せなことはたくさんあります。自分もTwitterを見ては「こんなの見たくなかった」という後悔を毎日のようにしています。

その不幸に目をつむれば「ささやかな幸せ」は得られます。しかし、それに目をつむらずに不幸に対して徹底的に向き合う。それは「幸せのロールモデル」ではないとしても、どう生きるかの指針にはなると思います。