2014年9月29日月曜日

電車に乗ると心が荒む

先日、出張で東京に行ってきました。東京に行くのは4年ぶりでしたが、わずか1泊にも関わらず、憂鬱になりました。東京はせいぜい旅行で行くところで、人が住むところや働くところじゃないと改めて思いました。

しかし、以前は「満員電車」「長時間通勤」が大嫌いでしたが、今回は満員電車でもなく、長時間通勤でもなかった(飛行機は除いて)にも関わらず、憂鬱になったため、その理由をあらためて考えてみました。

その考えた結果が以下の図です。移動時に「見えるもの」を分類し、それに対して「できること」を追加しました。図で「人」とあるのは、「人を見て観察すること」を表しています。


今回感じたのは、「地上を走る電車」と「地下鉄」の違いです。地上を走る電車は景色を見て楽しむことができます。しかし、地下鉄は景色がなく、人に見せることを目的とする有害な広告ばかりです。視線をどこに移しても有害なものしかありません。

乗り換えも短いので集中してゲームもできないとなると、スマートフォンに逃げるくらいしかありませんが、スマートフォンで有害なものを避ける方が難しいです。特にネットは有害情報だらけなので、見れば見るほど心が荒みます。

そして、そのようなただうつむいてスマートフォンを見ている人を見ても自分の心が荒むだけです。だから「人」の評価は地下鉄が最低になっています。

自分は普段は自転車通勤なので、不快な情報を目にすることはほとんどありません。せいぜいauショップののぼり旗くらいです。ネットさえ見なければストレスの95%はなくなります。

ふだんそのような環境にいる自分が有害な情報まみれの東京の地下鉄に乗れば、憂鬱になって当然です。自分は1日だけなので憂鬱になるだけで済みましたが、この地下鉄に毎日1時間も乗るなんて、牢獄にいるようなものです。

生気が感じられない東京の地下鉄に比べると、大阪の地下鉄は雑談をする人が多いのでホッとします。さすがに「阪急電車」のようなドラマティックな話はありませんが( ・ิω・ิ)

2014年9月3日水曜日

「安定した雇用」はもう難しい?

この発言がふと気になりました。
自分もこれが理想だと思ってます。ただ、それは難しいと思います。でもそれで終わりじゃなくて、その先どうしたらいいやろというのもある程度考えています。

まずこれが「理想」なのかというと、以前「年収300万円で住宅ローン」という広告がネット民にバカにされてましたが、あれは別に不可能ではありません。ただし、年収300万円が「ローン終わるまで一生続くなら」という前提です。逆に言えば、自営業は高収入でもローンが組みにくいです。収入が減らなくても、昔より収入の幅が大きくなっているのが現代です。

その理由は言うまでもないですが、終身雇用がもう保証できないからです。それは、昔に比べてチャンスが増えたことと表裏一体です。いくら会社が保証していても、会社が潰れれば終わり。公務員でも安泰ではありません。

そして、いくら福祉を充実させても、それはあくまで「生活保障」であって、「収入保障」ではありません。民間の保険もありますが、正社員のみなど加入条件が厳しいです。

そう書くと「金持ちから金を取ればいい」という人が表れますが、こういう人は間違いなく、金持ちになると保身に走ります。「今は何も出来ないけど、将来成功したら社会に還元したい」と考える人はごくわずかです。ネット民は何も出したくないが、高福祉を求める人ばかりです。(自分はどちらかと言えば高負担・高福祉派ですよ)

となると、社会保障は充実させるとしても、今の仕事がなくなることを前提として働く必要があります。つまり、新しい仕事を探す必要があります。

そう書くと「都会に出ればいい」という人がいます。50年前ならそれでもいいですが、今の日本の大都市は人が多すぎて逆に非効率です。少なくとも、通勤時間は完全な無駄です。せめて「普段はリモート、必要なときだけ都会に出る」という形ならまだいいのですが、都会の人は都会だけで仕事を占有したがります。シリコンバレーみたいに、特定の業種だけ人を集める方法もありますが、これを人為的に実現するのは非常に難しいです。

最近自分が考えているのは、もし何かあった場合、地元で別の仕事をすることです。地方には職が少ないですが、仕事はたくさんあります。なぜなら、地方も都会も非効率ですが、地方の非効率さは「やるべきことをやっていない」からで、都会の非効率さは「やらなくていいことをやっている」からです。

どっちが解決が楽かと考えたら、明らかに前者で、そして、そのために必要なのは都会の「知識」です。一方で後者は非常に面倒です。もっとも、仕事はあっても、それを収入に結びつけるのは難しい感じですが。

自分は以前はプログラム書けない仕事は嫌だと思ってましたが、もう今は別にこだわりはありません。ただプログラムを書くことは他の人より得意だから続けてもいいかなーという感じです( ・ิω・ิ)

ただ、これはあくまで「自分」の話で、他の人がどうすればいいのかの解にはなってないんですよね。たぶん一人一人考えないといけないのかなと。

2014年8月6日水曜日

地方の一出版社にネット企業が惨敗した件

先日、個人的にとても愉快な話がありました。

朝にZIP!を見ていたら、「ランチパスポート」という、見せれば500円でランチが食べられる本が紹介されていました。番組は東京の話として紹介してましたが、松山にも全く同じシステム、タイトルの本があるため、何で東京で話題になってるのか理解できませんでした。

この番組の後いろいろ調べてみたのですが、このランチパスポートは高知の出版社が発祥で、松山の出版社がシステム化して、それから全国展開を始めたようです。だから自分が「松山にもあるやん」と思うのはもっともな話なんですね。

ただ、自分はそもそもクーポン自体にあまりいい印象がないため、このビジネスをあまり評価していなく、そのため買ったことはありません。ただ、少なくともネット企業よりはビジネスがよく分かってるなとは評価します。以下は「クーポン」自体が良いものとして話を進めます。

なぜなら、少なくともグルーポンよりは遙かに良いビジネスだからです。グルーポンのおせち事件が起きたのが2010年末で、ランチパスポートが生まれたのが2011年4月です。ネット企業が「フラッシュマーケティング」という単語に踊らされていたのとほぼ同時期に、地方の一出版社が良いビジネスを作っていました。

そして、このランチパスポートは、グルーポンと比べると良さがハッキリします。

現在進行形で店とのトラブルが続いているグルーポンですが、その根本的な理由は、「割引の前売り」と「店からお金をもらうシステム」にあります。グルーポンはあらかじめ割引クーポンを買い、それを店に持って行って使います。その販売方法自体がトラブルの原因です。

グルーポンでよくあるトラブルが、「券を売りすぎて店が捌ききれない」というものです。1800人に券を売って有効期限が90日の場合、一日平均20人の客が増える計算です。しかし、多くの場合、有効期限切れになるころに殺到します。そうすると、店は大混乱に陥り、返金騒ぎになります。

勝手に券の枚数を増やすというトラブルもありました。なぜそういうことをするのかというと、売った券の枚数に応じてグルーポンに入るビジネスだからです。店としてはあまり多く券を売って欲しくないが、グルーポンとしてはとにかく多く券を売りたい、つまり、店とグルーポンの利害が相反しています。

一方でランチパスポートは、掲載料は無料です。その代わりに、本を売ることで収益を立てています。要はグルメガイドと同じです。そして、多くの店が掲載されているため、一つの店で捌ききれなくても、その店だけ一日の限定数を設定すれば「しょうがないね」で済まされます。本の形を取っていて、切り離す必要がないため、クーポンより使いやすいというメリットもあります(この点は特に良い)。

そして、グルーポンは一度売ったらそれっきりで、顧客との接点が持てませんが、ランチパスポートは期限が切れてもグルメガイドとして使えるメリットがあります。だから、トラブル続きのグルーポンと違い、目立ったトラブルもなく(ゼロではないようだけど)、全国に広まっています。

重要なことに、ランチパスポートというシステムにはほとんどITが関わっていません。本の製作システムにITを使用していて、だからこそ全国展開が出来たのですが、利用者も店もITの知識は不要です。つまり、ネット企業には絶対発想し得なかったビジネスです。

もっとも、ネット企業ならネット企業のやり方があり、ホットペッパー(元は紙でしたが)やぐるなびのように有用なサイトもあります(ちなみに食べログは有害サイトです)。ただ少なくとも、グルーポンというインチキを見抜けず全力で逆走し続けたネット企業、自称ベンチャー企業、メディアほど愚かなものはありません。

そして、ネット企業、自称ベンチャー企業、メディアは全く反省せず、今日もITならぬインチキ(INTIKI)ビジネスを追いかけています。巧遅は拙速に如かずと言いますが、ダメなものはいくら早くてもダメです。グルーポンすらインチキと見抜けなかった人たちに何が出来るというのでしょうか?

ちなみに、「地方の一出版社」と「ネット企業」を比較していますが、このビジネスが生まれたのが高知なだけで、原理上はネット企業以外なら思いつく可能性があります。東京の出版社が思いついてもおかしくありません。ただ、原理上あまり大きなビジネスにはならないため、大企業には難しいかもしれませんね( ・ิω・ิ)

2014年7月9日水曜日

ベネッセが招き入れた「疫病神」は誰?

ベネッセの個人情報流出のニュースが飛び込んできましたが、ちょっと気に入らないところがあるので書いておきます。思いっきりポジショントークですが、書かずにはいられないので。

何が気に入らないのかというと、原田泳幸現社長が疫病神だと疑われていることです。しかし、原田氏が社長になったのは先月で、取締役になったのも1年前のことです。特に大きな会社では、新経営陣の成果が出るのは2年はかかります。本人が問題を起こしてない限り、経営責任は前経営陣にあると考えるのが普通です。

そして、原田氏は確かにマクドナルドで2012年のメニュー撤去以来迷走しましたが、だからといって経営者の資質がないというつもりはありません。なぜなら、2011年までの好調を作ったのも原田氏だからです。

個人的なことをいうと、2011年に株を始めたときに買った株の一つが日本マクドナルドです(今は売りました)。株主優待が魅力的なのが第一の魅力でしたが、脱安売り路線には好感を持っていました。なので、2012年からの迷走はもう別人としか思えませんでした。今思うと、たぶん原田氏は「立て直し」には強いけど、「成長戦略」には弱い経営者じゃないかと思ってます。だから、タイミングが悪いかもしれないけど、疫病神というのはおかしいと思います。

話の流れ上、原田氏を擁護しましたが、正直原田氏のことはどうでもいい話です。問題は誰が疫病神か。自分は最初にベネッセのことを聞いたときにピンと来ました。輝かしい経歴を持つ人が一人います。
  • 1999年:日本IBM 取締役
  • 2007年:ベネッセ コーポレーション 取締役
  • 2008年:ソニー 社外取締役
日本IBMは2001年をピークに売上は激減し、数々の問題を起こしています。ソニーは2011年にPlayStation Network個人情報流出事件を起こしています。そして今回のベネッセ。1年前に退任しているため今回のニュースでも名前は挙がってませんが、退任するまでは副社長という役職に就いていました。

その輝かしい経歴を持つ疫病神の名前は…内永ゆか子です。日本IBMで酷い目に遭った自分はすぐピンと来ました。日本IBMでは組織をボロボロにし(クオータ制度に反対する理由)、ソニーでは"無能"ストリンガーを支え続けた、経営者としては最悪の人物です。このような輝かしい経歴を持つ内永こそ、疫病神としてふさわしいでしょう。

2014年6月24日火曜日

クオータ制度に反対する理由

この問題は「私刑を望むネット民に呆れる」以外は特に言うことはなく、finalventさんの記事は基本的に同感なのですが、この記事にだけは違うと言いたいです。
自分はこの「クオータ制」には強く反対します。控えめに言っても、慎重にやらないと、効果が無いどころか逆効果だと思います。なぜこう思うのか以下に書きますが、それは、日本IBMでの酷い経験と、良い経験が元になっています。

以下で「男性的」「女性的」という表現を使いますが、「男性に多いと思われている資質を持つ」「女性に多いと思われている資質を持つ」くらいの感じで捉えてください。自分としては多少は性差はあるにしろ、それ以上に個人差が大きいと思っています。

まず酷い経験の方です。自分は日本IBMの大和ソフトウェア開発研究所(YSL)に配属になりましたが、当時の所長が内永ゆか子という女性でした。はっきり言うと、自分は今でもこの内永のことを思い出すと、ものすごく嫌な気分になります。なぜなら、自分はずっと疎外され続けたからです。

自分はYSLの中で、IBMの4ブランド(WebSphre, DB2, Lotus, Tivoli, 当時はRationalはなかった)ではない部署に配属されました。どうやって配属を決めたのか今でも謎ですが、特に今さら言うほどではありません。問題は、自分の部署の存在意義がずっと分からなかったことです。

内永が全体ミーティングで言うのは決まってIBMの4ブランドのことばかりで、自分の部署の存在はとってつけたような言い方しかされたことがありません。同期ともよく話していました。「自分たちの部署って何なんだろう」と。内永は「部下を好きになってください」という本を書いているようですが、自分はまずその前に部下の存在を認めてくださいと言いたい。

そんな内永は2004年にYSLの所長から、その上の開発製造部門の所長になりました。つまり出世です。自分は全く信じられませんでした。個人的な印象が最悪なのはもちろんですが、YSLの所長として何も実績を上げてるようには見えませんでした。むしろ、組織としてはボロボロになっていました。となると考えることは一つです。「女性だから出世できたのだろう」と。これが酷い経験です。

一方で、良い経験もあります。日本IBMには優秀な女性がたくさんいたことです。同僚として、あるいは上司としていろんな人と仕事をしましたが、どの人も優秀でした。浅川智恵子さんの話も一度聞きましたが、素晴らしい人だと感じました。そして浅川さんがフェローになったと聞いたときはとても嬉しかったです。

このように、自分には仕事をする女性について、酷い経験と良い経験がありました。一緒に仕事をする女性は優秀な人が多いにもかかわらず、上に立つ女性にはいい印象が全くというほどありません。正直、女性が上に立つことには偏見を持っています。「男性的な価値観」を持つリーダーになってしまうのなら、女性はリーダーになって欲しくないと。

なので、女性はリーダーでなく、研究者や管理者としてのキャリアを目指した方がよいと考えていました。しかし、つい先日一つの疑問が出て来ました。そもそも皆が求めるリーダー像が間違ってるのではないかと。リーダーが「男性的」であるべきだと思われてるのがそもそもおかしいと。これは日本に限った話ではないと思います。何故女性のリーダーは少ないのかで挙げられているアドバイスも、ガツガツした「男性的なリーダー像」を基にしています。

この記事では「男性的なリーダー像」を悪いもののように書いていますが、全く悪いことだとは思っていません。決断力や積極性が必要とされる場面もあります。しかし、「女性リーダー」の多くはがさつや暴力的など、「悪い意味で男性的」な点ばかり目立ちます。そして、直感で言えば、「女性的なリーダー像」が成立しないはずがありません。少なくとも、片方に偏るのはおかしいと確信しています。

自分が「クオータ制」で懸念しているのは、この点です。女性を増やしても、「男性的な価値観の女性」ばかりでは、多様性にはプラスにならず、むしろ逆効果だと思います。塩村議員については全く知らないので分かりませんが、世の中の女性議員の多くには「男性的な価値観」を強く感じます。そのような人が「女性的」な女性を候補者に選べるのか疑問です。

「クオータ制」を採用するなら、性別だけではない、本当の多様性が確保されることが必須です。そしてその多様性は女性だけのものではありません。男性が持っていても構いません。「優しさ」が男性には不要だというのなら、そのような社会は間違っています。

しかし、「女性的」であることは、今の世の中では不利です。自己主張出来ない人は会社では不利に追いやられます。自己責任だと言われます。酷い場合は、存在すら認知されません。日本IBMは目に見える形での多様性は重視していましたが、価値観の多様性には無頓着でした。ネットも「とにかく早く」ばかり求め、それ以外の価値観の多様性には無頓着です。

自分たちは本当に多様性を大事にしてきたか、知らないうちに踏みつけて潰してきたものはないか、ネット民を含む「進歩的」な人たちは一度振り返るべきではないかと思います。

2014年5月31日土曜日

「否常識」を疑え

「常識を疑え」とはよく言われます。この考え方自体は役立つものだと思います。ただ、自分はそれよりも、「否常識」こそ疑うべきだと思っています。

「否常識」というのはどのようなものかというと、「常識を否定した結果として得られた"新たな常識"」のことです。例えば「マスコミは信用できる」というのが常識なら、ネットの「マスコミは信用できない」というのが「否常識」です。他にも次のようなものがあります。
  • ネットは規制してはいけない
  • 会社のために働いてはいけない
  • ベンチャー企業はすばらしい
「常識を疑え」というのも「否常識」の一つです。これを疑うべきということです。

注意すべきなのは、あくまでこれは「疑え」であって、「否定しろ」ではないということです。結果として常識が正しいかもしれないし、「否常識」が正しいかもしれない。全く別の考えが生まれるかもしれない。重要なのは、「常識を疑え」はあくまで「常識に囚われるな」であって、常識を否定した結果に囚われてしまっては意味ありません。

そして「否定」を目的としている限り、それは最悪の結果を招きます。例えばキリスト教という「常識」を破壊して理性教という「否常識」を打ち立てたフランス革命のように。最高存在の祭典の記述は何度見ても恐怖で身が震えます。

「改革」を唱えた人の多くが大失敗するのも同じ理由です。「常識を否定すること」が目的になっていて、それが本当に正しいものかどうかに目を向けないため、間違いがあっても自分の考えを改めることが出来ず、自滅します。

ネットにはこのような「否常識人」がたくさんいます。例えば「ネットはすばらしい」も、最初は文字通り「ネットはすばらしい」でした。しかし、いつの間にか「リアルは敵」という考えが混じってきました。「リア充爆発しろ」が冗談でなくなってきている人も出て来ています。

そして「マスコミは信用できない」と言った結果、ネットはマスコミよりも劣悪な、煽りとデマだらけのメディアばかりが並ぶ無法地帯になってしまいました。「否常識人」には満足かもしれませんが、自分には耐えられません。

このように「否常識」に囚われると、最終的には自分が不幸になり、それ以上に周りを不幸にします。そのような人たちを見ると正直呆れます。「否常識」に囚われるくらいなら、普通の人の方が自分は素晴らしいと思います。

「非常識」な人は最初は反発されますが、それが「本物」ならば、最終的に受けいられることがほとんどです。しかし、「否常識」な人は常に「偽物」であるため、ただ社会を混乱させるだけです。

2014年5月30日金曜日

そもそも「成果主義」って何?

世の中に、「成果主義」ほど誤解されているものはないと思います。賛同派も批判派も誤解しているため、そもそも議論が成り立っていません。

自分も日本IBMで味わったのですが、「間違った成果主義」ほど会社をダメにするものはありません。社員のモチベーションは下がり、会社の業績も落ちます。一方で、ダラダラ残業して残業代を稼ぐというのも嫌です。

そんなわけでずっとモヤモヤしてたのですが、数年前にこの問題について調べて、そもそも日本で議論されている「成果主義」の定義が変だと気づきました。それは、ドラッカーが述べる「成果」の定義が一般に言われていることと異なるからです。「明日を支配するもの」のp23には次のような記述があります。
すでに50年も前から、金銭だけで動機づけすることはできないことが明らかになっている。報酬に不満があれば、やる気は失われる。だが報酬への満足は、40年前にフレデリック・ハーツバーグが、その著書『仕事の動機づけ』(1959)において名づけたように、衛生的要因の充足にすぎない。 
このように、報酬の効果は限定的で、日本で行われている「金銭で報いる成果主義」を否定しています。 では、ドラッカーは「成果」をどのように定義しているのでしょうか?それはこの後の文章に表れています。
したがって、とくにこれからは、人をマネジメントすることは、仕事をマーケティングすることを意味するようになる。マーケティングの出発点は、組織が何を望むかではない。相手が何を望むか、相手にとっての価値は何か、目的は何か、成果は何かである。つまり、適用すべきはX理論でもY理論でもなく、いかなる管理論でもないということである。
このように、「顧客が望むもの」を成果と定義しています。決して業績なんかではありません。業績は「組織が望むもの」であって、「顧客が望むもの」ではありません。ドラッカーは口が酸っぱくなるほど、顧客のことを第一に取り上げます。「組織の中にプロフィットセンターはない」 という発言も何度も出て来ます。

ではなぜこのようなことを言ってるのでしょうか。それは、多くの人が、組織の中で成果に結び付くことのない仕事に忙殺されているからなんですね。賽の河原の積み石のような作業が企業の中にはたくさんあります。それを止めるために、「それは顧客のためになっているか」を考えるのが「成果主義」です。

ただ注意しておかないといけないのは、「顧客のためになっているか」を狭く捉えてはいけないということです。福利厚生や日常的な雑談といったものは短期的は顧客のためにはなっていません。しかし、それらを排除してしまうと、社内がギスギスして、長期的には顧客のためにはなりません。ほぼ日での上田惇生さんとの対談でもそのようなことが語られてます。

逆に、複雑怪奇な社内プロセスほど、顧客のためにはならず、組織のモチベーションを下げるものはありません。これらは真っ先に排除、あるいは縮小すべきでしょう。社内プロセス地獄だった日本IBMが沈没したのも当然でしょうね。

2014年5月14日水曜日

「マイルドヤンキー論」から見えるもの

最初に書いておきますが、自分はこの話を心底「くだらない」と思っています。もちろんこの言葉の元になった本は読まずとも駄本だと分かるので読む気は全くありません。このような本を読むのは時間とお金の無駄です。ただ、この問題に対して自分の頭のスペースを消費するのがもったいないので、書いておきます。

まず「マイルドヤンキー」には以下のような特徴があるようです。EXILEのように関係ないだろうというのは外しています。
  • 「絆」「仲間」「家族」という言葉が好き
  • 半径5kmの地元から出たくない
  • 車、特にミニバンが好き
  • ショッピングモールが好き
  • 上昇志向がない
  • ネットへの関心が低い
自分がこの言葉を聞いたときに思ったのは「ただの普通の人だな」と思いました。そして、自分も「半分」この特徴に当てはまります。次のように。
  • 家族を大切にする
  • 普段は半径5kmの地元で生活する
  • 地元のショッピングモールか百貨店でほぼ十分
  • 生活を良くすることに関心があるが、上昇志向はさほどない
  • ネットを使っているが、ネットを信用しない
明らかに違うのは、免許を持って無く、車に関心がないことくらいです。そしてもちろん、自分は「ヤンキー」とは遠くかけ離れた人です。

ではこの定義から何が見えるのか。それはこの条件を裏返しにしてみれば分かります。(ショッピングモールの反対が何かには悩みますが)
  • 個人主義
  • 視野がグローバル
  • 電車が10分に1本来るところが好き
  • オシャレな店や海外旅行が好き
  • 上昇志向が高い
  • ネットへの関心が高い
この特徴を満たすのは、在京マスコミやネットベンチャーやネット民のような「トーキョー人」です(3つの「東京」)。つまり、マイルドヤンキーという言葉は、トーキョー人が自分たちに従わない、普通の人たちを貶めるために作られた言葉です。

問題はここからです。なぜこのような言葉が出て来たのか。それは、この「マイルドヤンキー論」を持ち出す人の言葉に表れています。「マイルドヤンキー 幸せ」で検索すると、「もしかして幸せ」「そこそこ幸せ」「ささやかな幸せ」「案外幸せ」のような、素直に幸せを認められない言葉が並びます。これはつまり、トーキョー人は「マイルドヤンキー」の幸せが本物ではないと思っていることの表れです。

では、トーキョー人が考える「本物の幸せ」とは何でしょうか。「有名人」や「成功者」や「金持ち」を見てもそれが全く見えてきません。ネットを見てもテレビを見ても、この人たちの多くはいつも不満たらたらです。「幸せ者」はほとんど見かけません。そして少数の幸せ者は「ささやかな幸せ」を大事にする人たちです。

つまり、トーキョー人には全くロールモデルがありません。正確には、成功するためのロールモデルはあっても、幸せになるためのロールモデルがありません。もっと正確に言えば、幸せになるためのロールモデルはあっても、それを受け入れられていません。

自分が考えるに、そのロールモデルは3つあると思います。一つは、「ささやなかな幸せ」を認めること。成功したいからと言って、「ささやかな幸せ」を否定する必要性はありません。むしろ、成功者ほど、早いうちに「ささやかな幸せ」を手に入れているのではないかと数年前に気づきました。

二つ目は、篤志家になること。アメリカでは、成功した人は慈善事業に携わる人が多いです。ビル・ゲイツも、今では篤志家として有名です。見返りを求めますが、リスクの高い投資をするエンジェル投資家もいます。ただお金を渡すのではなく、社会をよくしていくために積極的に関わる、「経営」することは、事業を成功させること以上にやりがいがあることだと思います。

日本でもたくさんの資産がある人は寄付をしていますが、慈善事業を「経営」する人はほとんど見かけません(スワンベーカリーくらい)。自分も含めて、普通の人はそれ以上に慈善活動に携わっている人は少ないです。もっとも、これは時間にしろ、金銭的にしろ、ある程度自分に余裕がある人でないと出来ません。

そして三つ目。それは「不幸」であることを受け入れることです。世の中には知らない方が幸せなことはたくさんあります。自分もTwitterを見ては「こんなの見たくなかった」という後悔を毎日のようにしています。

その不幸に目をつむれば「ささやかな幸せ」は得られます。しかし、それに目をつむらずに不幸に対して徹底的に向き合う。それは「幸せのロールモデル」ではないとしても、どう生きるかの指針にはなると思います。

2014年5月7日水曜日

松山市の水道料金が倍になったという【デマ】について

以前少し聞いたときはスルーしてたのですが、松山市の水道料金が倍になったというデマが流れています。松山市もこれを否定しています。

自分は5年前から松山市に住んでいますが、そんな話は全くありませんし、そもそも高いと思ったことはありません。前に住んでたところが月2000円の固定額で、今住んでるところは2ヶ月毎の集金ですが、1ヶ月ごとで計算すると前住んでたところより安いです。

松山市の水道料金はこのようになっています。
  • 1m^3〜10m^3までの分: 38円 / 1m^3
  • 10m^3〜20m^3までの分: 159円 / 1m^3
  • 20m^3〜30m^3までの分: 237円 / 1m^3
  • 30m^3〜50m^3までの分: 262円 / 1m^3
  • (以下略)
これを例えば、仙台市と比較してみます(こちらは税抜なのに注意)。
  • 1m^3〜10m^3までの分: 80円 / 1m^3
  • 10m^3〜20m^3までの分: 185円 / 1m^3
  • 20m^3〜50m^3までの分: 205円 / 1m^3
  • (以下略)
これを見て分かるように、1m^3から20m^3までは松山市の方が安く、逆に20m^3から50m^3は松山市の方が高いです。松山市がこうなってるのは、松山市がよく水不足になってて、節水に力を入れているからです。例えば、節水型洗濯機に補助が出ます。もっとも、自分が松山に来てからは一度も水不足になっていませんが( ・ิω・ิ)

今回は仙台市と比較しましたが、例えば東京都は全体的に安く、千葉県は全体的に高いなどと、地域によってまちまちです。現在の松山市の料金が飛び抜けて高いわけじゃないのだけはハッキリしています。

本題の水道料金についてのデマですが、どうやらソースはこちらのようです。このページに書いてある通り、確かに例えば1m^3〜10m^3は15円から35円に上がるのですが、それは値上げというより、他の地区より安すぎたのを是正するという方が正しい言い方でしょう。

では、この「旧荏原川東、旧荏原川西、旧関屋出口、旧久谷中組、旧窪野地区簡易水道」はどこなのでしょうか。松山に長らく住んでいる人なら分かるかもしれませんが、自分はさっぱり分からないので調べてみました。どうやら、次の地区のようです。
  • 旧荏原川東、旧荏原川西
    • 愛媛県松山市東方町
  • 旧関屋出口、旧窪野地区
    • 愛媛県松山市窪野町
  • 旧久谷中組
    • 愛媛県松山市久谷町
これを地図で見てみれば分かると思いますが、久谷町と窪野町は山の方で、近くに川が流れている。東方町は平地のようですが、近くに池がある。つまり、両方とも水の豊富な地区です。おそらくここに自分たちで水道を作ってたんだと思います。だから「簡易水道」で、それが「上水道に統合」されたんだと思います。

本当はそこが統合された経緯についても調べたかったのですが、疲れたのでここまでにしておきます。ただ、愛媛県松山市東方町について調べてたら「水道負担金:25万円」という土地があったので、水道代が安い分、負担がかかっていたのかなと想像してますが…

とにかく、これがデマなのは疑いようがありません。そのデマを流した人たちが誰なのかTopsyなどで調べてみたのですが、そのメンバーを見たときに、呆れると同時に怒りが沸いてきました。これまで何度もデマを流してきた人たちが多数並んでいました。またこいつらか。

2014年4月16日水曜日

3つの「東京」

自分はTwitterなどで「東京嫌い」を公言していますが、その「東京」とは何かを書いておかないと誤解されそうなので、一度記事にしておきます。ちなみに、首都圏には6年近く、区部には数ヶ月だけ住んでいました。

自分の中には、「東京」は大ざっぱに3つに分かれています。その中の1つは好きで、もう1つは好きとも言えませんが、少なくとも評価はしています。ただ、残りの1つが大嫌いなため、「東京嫌い」を公言しています。

嫌いでない「東京」の一つ目は、日本の首都としての東京です。イメージとしては坂の上の雲で描かれているような、明治時代のエリートです。これは好きなところとそうでないところがありますが、少なくとも評価はしています。

嫌いでない「東京」の二つ目は逆に、地元にずっと住んでいるような人です。イメージとしては、こち亀の両津勘吉です。特に下町の土地や文化、例えば浅草やもんじゃ焼きなどは好きです。数ヶ月だけ住んでいたところも下町で、良いところでした。自分の中ではこれらをまとめて「江戸」と呼んでいます。

そして、自分が嫌いな「東京」は、在京マスコミやネットベンチャーに代表されるものです。これらには「東京至上主義」「押しつけ」「傲慢」「見た目だけ立派で中身がない」「閉鎖的」「自分に甘く他人に厳しい」のようなマイナスイメージを持っています。このような人たちの多くは、とにかく「東京」を強調します。中身がないからこそ、「東京」というブランドを強調します。横文字が好きな人たちなので、「トーキョー」と以下では書きます。

このように「首都」「江戸」「トーキョー」と、東京のなかには3つの価値観があると見てます。「首都」は地方分権が進んでない現在では東京にしかほとんどありませんが、必要なものです。「江戸」に対しては、各地方の文化があります。しかし「トーキョー」は不要であり、かつ東京にしかまず存在しません。

このような「トーキョー人」は東京では通用するかもしれませんが、他の地域ではただの厄介者です。「よそ者」を警戒するのはどの地域でも変わりません。しかし、その「よそ者」が「本物」なら信用し、受け入れます。「トーキョー人」が嫌われるのは、「よそ者」ではなく「偽物」だからです。

もちろんこの見方はあまりに乱暴です。 テレビや新聞にも良いものはあり、下町文化に限らず、オタク文化のような良いものが生まれることもあり、その土壌として東京は人が多いという有利な点があるのは確かです。ただ、その有利さは相対的なものであり、絶対的なものではありません。ただ、自分はこの3つを意識しています。

自分はここ数年、「ネットはつまらない」と感じるようになったのを何度か書きましたが、それを別の言い方にすると、「ネットがトーキョー化したから」です。中身がない記事でもアクセスが稼げれば良い、騙しやパクリが当たり前という今のネットは自分の嫌いな東京のイメージと被ります。

そして、「トーキョー」は簡単に「グローバル」に乗っ取られてしまいます。「グローバル」にもトーキョーと共通する問題があります。Googleほど邪悪な企業はほとんどありません。しかし、少なくともトーキョーよりは良いものです。だから人々に選ばれます。

もちろん、日本の中にも「グローバル」を持った人たちがいます。中には「日本」を大事にする人もいれば、地域を大事にする人もいます。それぞれに長所があり、グローバルと対抗出来る力があります。しかし、「トーキョー」には何の力もありません。ただの抵抗勢力です。

この記事を見て東京人は腹が立つかもしれませんが、少なくとも自分の中ではこのように感じています。そして、その腹が立つという感情は、他の地域の人がいつも感じていることと同じです。東京は決して「特別」ではありません。